里山にゴミは似合わない
   小6 あおやゆ(aoyayu)  2025年4月4日

 里山を歩いていると何人ものハイカーとすれ違う。里山を綺麗に維持している人にとってハイカーのマナーの悪さは目に余るものである。今、美しく維持されている里山は、必要な手間暇を全て山里の人が普意で負っている。しかし、部会に暮らす人々が大切な里山を維持してもらえるように山里の人に感謝の言葉をかけたりその負担をするべきではないかと考える。また、野生動物たちにとって一番いいのは緑のコリドーを作ることである。つまり里山を守ることは山に住む人だけではなく皆が取り組むべきだろう。

私も軽井沢の離山という山に登ったことがある。空気が綺麗で緑の葉の茂った気がたくさんあるとても綺麗な風景だった。しかし、「この先私有地につき立ち入り禁止」や「ゴミを放置しないでください」などの看板があった。緑の中にまるでこれが事実なんです、と訴えているようだった。頂上ではおそらく都会に住んでいるであろう人で賑わっていたが、その足元にはお弁当のプラスチック、ペットボトル、缶などの見苦しいゴミが落ちていた。このようなことをする人にはきっと「自分1人くらいやったってバレないだろう」という心があったのではないだろうか。この行動は善意で綺麗にしている里山の人にとって裏切るようなことだ。私だったら激怒するだろう。せっかくの絶景にゴミは似合わない。また実例として富士山も同じだ。有名な話で、富士山は日本一高い山であるが離の原生林には観光客で賑わいゴミがたくさん落ちていた。そのため世界遺産にはなかなか登録されなかった。マナーの悪いハイカーのせいなのに、まるで里山の人々が管理してないかのようにニュースで報道されるのは里山の人にとって1番悲しいことだと思う。

動物にとってもいい迷惑だ。山にゴミのプラスチックなどの分解されないものを置いていった人がいるせいで里山が荒れ、食物連鎖が崩れていく。そのため本来の餌となるものがなくなって仕方なく山を降りて餌を探しにいったら、人間に通報されて死んでしまう。何より自分の住んでいた場所が人間の開発によって急速に人のものになって、まるでもともと人間のものだったかのように振る舞われ、そっちが悪いと言われるのは理不尽だ。人間にとっても野生動物にとっても一番いいのは緑のコリドーだと思う。

里山に住んでいる人もハイカーの人も都会に住んでいる人も1度壊してしまったら完璧に元には戻れない美しい自然を少しでも協力して自然保護のために行動を起こしてほしい。また自分もゴミ拾いのボランティアに参加するなど自然を守るための行動をしようと思う。この地球に住んでいる人間として自然を守ると言うこと義務であり、自然とは人間にとって協力して守ることである自然にやり直しは効かないのだから自分の行動を見直すのは大切である。また自然とは誰が守るべきなのかということについてみんなで考えることは大切だと思った。