自然の事
小6 あかささ(akasasa)
2025年4月4日
今、美しく維持されている里山は、必要な手間暇をすべて山里の人々の善意に負っている。だから、都市に暮らす人々が大切な里山を維持してもらえるように山里の人々に対して相応の負担をするべきではある。開発が進む里山では新しい道路が作られ、野生動物たちが訪れる林が分断されることが多くなった。野生動物には文字も読めない。だから、人間側には注意と配慮がもっと必要である。
僕が五年生の時、自然学校で登った「東山」という山は整備があまり行き届いていない山で、「ザ・森林」という感じの山だった。険しかったけど、とても楽しかった。なぜかというと、自然学校の時の臨時の先生が、ダジャレがとても好きな先生で、ほかの友達と臨時の先生でダジャレを言いまくった。先生の一番のお気に入りのダジャレは「コンドルがくいこんどる」。想像したら面白いから好きらしい。僕は前の委員会で放送をしていたのだが放送で僕がこのダジャレを言ったら同じ放送委員の友達はつぼにハマってずっと笑っていた。
面白いことを考えていたら思い出したのだが、少し前、山にスキーに行った。いつもなら近くの駐車場に止めるがその日は混んでいたのでちょっと遠めの駐車場に止めた。行きはなんてこともなく、スキーをしている時にもなんてことなかった。午後7時ごろに「そろそろ帰るか」と駐車場に行くと、父は「ツルン」とまるでホームアローン1の裏口から入るおマヌケ泥棒のように転んだ。しかも今、僕に「道凍っているから転ぶなよ」と注意したやさきに・・・。僕はこれを見てまるで吉本新喜劇のようだと思った。(この後7回くらい転んで左手首を打ったらしく次の日に「いたいなぁ」と言っていた。)また、あんなに広くて、つるつる滑る山を開墾するなんてすごいなと思った。
僕は5年生の3学期の時に、山の手入れをする林業の人たちの(多分平均年齢70歳くらい)講座に行ったことがある。この講座では木の切り方を教わったり、細い木を切ったりした。(ちなみにこの人たちは1ヶ月に1回くらい集まって山を整備しているらしい)また、この講座はとてもためになったし、とても楽しかった。僕は、山や森林はこういう人たちによって守られているのだと思った。
母に似たような話はないかと聞いたら昔、迷子の狐にあったらしく、母は山と川の間の土手を走っていて、狐は道路を横切って河川敷に走ったそうで、狐が走っていった方角には高速道路を通すために削られた森があったらしい。母は人間とは何て傲慢で自分勝手な生き物なのだろうと思ったと言っていた。また、私も人間の中だ。人間が生き物・自然と再び共存共生する方法はないのかとも言っていた。一人の力では大きなことはできないかもしれないけれど今できる小さな一歩を自分なりに考えて行動できる自分でありたいと思うと言っていた。確かに人間は自分勝手な生き物だと思った。
僕は、自然とは人間にとって何かを楽しむためには、欠かせないものだと分かった。だから、これからはごみを拾ったりして、これからも遊べるように自然をもっと大切にしたい。