技術に見合う精神
   高1 あえもも(aemomo)  2025年4月2日

 人間は、脳が先に機能停止におちいった場合、人工呼吸器の力で、脳死状態で生きることができ、生を手放しながらなお死を中断された、ある種の中間的身体が作り出されるのである。だが、医療のテクノロジーがもたらしたのは、人間のまったく「非人間的」な可能性なのだ。現代のテクノロジーは人間の道具におさまる範囲を超えて進んでおり、いつのまにか自分もいっしょに変えられている。人間はこの「不気味な」状況を欺瞞なしに受けとめ、そこでありうべき関係を探ってゆくほかはない。また、移植治療によって死ぬべき臓器は他者において復活するようにもなった。引き受けた他者は、免疫抑制剤によって自己の固有性を弱めながらも、生きることができる。そのようなリレーのうちに身体的生命はそれ自身の論理を貫いており、部分身体の受容と復活をとおして、「不死性」のきらめきさえのぞかせている。このことから、我々は、技術の進歩と共に、それに見合う精神を養っていくべきだ。

 そのための方法としては第1に、改善へ向けた討議を何度も行うことだ。現代の日本では、校則のない学校が増加している。一方、私の学校では明確な校則が定められており、時折服装頭髪検査も実施されている。しかし、ここ数年、毎年校則の見直しが行われ、以前と比べて随分と生徒の自由度が高い規定へと改正された。例えば、通学バックの指定が廃止されたり、男子の頭髪規定が女子と同じ、長髪が認められるようになったり、他にも様々な改正がなされた。しかし、母の学生時代は、現代とはまるで違う厳格な校則が定められていたそうだ。男子は坊主で女子も二つ結びの髪型でなければならず、違反者は、教員に棒で叩かれていたという。現代でこのようなことが行われていたら、全国ニュースに挙げられるほどの一大事だ。ところが、冷静に考えてみると、このような過去の汚点があったからこそ、生徒の自由と教員の負担軽減が考えられた現代の規定が実現できているともいえる。このことから、社会情勢や技術の進歩に合わせ十分な討議を行い、その他の規定も改善していく精神が必要だ。

 第2の方法としては、物事の問題点に日頃から目を向けておくことだ。例えば、1960年代から1980年代にかけて利用が拡大した原子力発電。しかし、この発電方法は様々な問題を抱えている。主に、2011年の東日本大震災の時に起こった原発事故の問題と、使用済み燃料の処理方法の問題だ。原発事故では、大量の放射性物質が放出され、多くの住民に被害が出た。また、使用済み燃料の問題は、先日、廃液を徐々に海に流すことが決定したが、この廃液は、「高レベル放射性廃棄物」のため、決して安心はできない。原子力発電の技術は、勿論卓越したものだ。しかし日本では、今や「原子力発電は危険だ。」というイメージが離れなくなってしまっている。このような事態になってしまった原因としては、原子力発電のメリットに魅かれ、冷静にデメリットを見つめ、解決策を練る人が小数派だったからだろう。いくら世界を救う技術でも、問題が起こってしまっては、その価値は低くなってしまう。これを未然に防ぐために、物事の問題点を見つける癖をつけておくことが大切だ。

 確かに、技術の進歩は目まぐるしく、人間の冷静な判断時間が確保しづらい時代だ。しかし、技術とは、人間のためだけにあるのではなく、地球の良き未来のためにあるべきである。よって我々は、技術の進歩と共に、それに見合う精神を養い、名誉なる技術が賞賛され続けるようなものにしなければならない。そのためには、より多くの人々が物事のデメリットを冷静に見つめ、目をつむらず改善する姿勢を持つことが大切だ。これからは私も、最初から大きな問題を見つけようとはせず、まずは、家族内、学校内などの足もとから意外な問題点を見つけ、問題発見をする力と、解決する能力を徐々に身に付けていきたい。