矛盾でかえる
中1 みお(aemio)
2025年4月3日
同じ平面の上を反対方向から進んできた二つの同じ力がぶつかれば、両者は互いに相殺しあって、運動のエネルギーは消えてなくなってしまう。避けなくてはならない矛盾とはこの相殺の論理のことであろう。この論理が前提としているのは同一次元での一貫性のある連続である。これなら、対立や撞着もしのびこむ余地がないため安心で、美しいと感じられる。反対に、このように戦々恐々として一筋を守らなくては乱れてしまうのであるとしたら、いわゆる論理とはなんと貧寒なものなのであろう。私は矛盾はよいと思う。理由は二つある。
第一の理由として、会話がはずんだり、遊びがより楽しくなったりするからだ。私が通っていた小学校には20分間の中休みと15分間の昼休みがある。休み時間には毎日みんなでドッジボールをして遊んでいた。そのとき、「絶対にあてる」と言っている子と、「絶対によける」といっている子がいた。その子たちは本気で宣言していたのだと思うが、聞いている人にとっては、なんか矛盾してるよね?と盛り上がっていた。そして、二人に向けて、「頑張れ!」や、「ナイスキャッチ」など、応援したり声掛けをしたりしていい雰囲気になっていった。もし、二人のいっていることが矛盾していなかったら、変哲もないただのドッジボールをしていたと思う。だから、矛盾は、ときどき発生し、いい使い方をすることで、場の雰囲気をよりよくしてくれるものなのだとわかった。
第二の理由として、自分のたてた目標を振り返ることができるからだ。私は二週間ほど前に、本当は食べたいのだがお菓子を食べることを控えめにする、という目標を立てた。しかし、その前に祖父母の家に遊びにいって、お土産をたくさん買った影響で、それを食べ終えてから目標を実行することになった。お土産なんだからしょうがないといってどんどん食べているうちに、家にもともとあったお菓子も「賞味期限が近いから食べなければ」という理由で自分に言い訳をして、また食べてしまっている。しかし、自分の立てた目標に対して、この行動は矛盾している。ついつい食べてしまうのはわかるが、自分でたてた目標には、矛盾して遠のいてしまったり、途中であきらめたりするのではなく、達成することが大切だ。そのことに「矛盾」が気がつかせてくれた。だから、私は少しずつでもお菓子を減らしていこうと思う。
確かに、理屈にあっているということは大切で、矛盾ばかりでは社会は成り立たない。しかし、「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言があるように、矛盾は悪いことばかり引き起こすわけではない。矛盾は目標達成のための手助けをしてくれたり、会話や遊びの場で楽しい雰囲気を作ってくれたりするものである。矛盾が出回りすぎないよう、矛盾の発生をコントロールして、メリットとデメリットを理解し、使い分けていくことが大切なのである。そして、それができれば、不安定な世の中が少しずつよくなっていくはずだ。だから私は矛盾はよいと考える。