いつから世の中が矛盾を(感)
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  いつから世の中が矛盾を恐れるようになったのか知らないが、頭から悪者と決めてかかっている人が多い。同じ平面の上を、反対方向から進んできた2つの同じ力がぶつかれば両社は相殺し合い、運動のエネルギーは消滅する。数学的にはプラス5と―5を足すと0になるときである。これは悪い矛盾だ。一度矛盾が不毛だと知れると論理に走る。論理は隠れた新興の一つにまでなっているかもしれない。論理は一貫性のある連続であり飛躍はいけないテーマの錯乱もいけない。一本の糸でつながっているものが純粋かつ美しいと感じる。これなら対立や同着などのことが入り込まず安心である月並みの句などという言葉はかすかな平面的連続を嫌ったものとみることができる。矛盾はよくないと思う。



 第1の理由は自分が本当にしたいことやしなければならないことができなくなってしまうからだ。僕は期末テスト前勉強しなくてはいけないと毎回思う。だが、毎回毎回、勉強するの嫌だなと思い、初めの方はやらないで過ごしてしまう。だが、テスト直前になってそろそろやらないとだめだとあわて初めて毎回バタバタして計画的に勉強できないのである。その結果いい点数が取れないことがある。このやらなければならないのにやらないという矛盾が生むのが悪いテストの結果である。矛盾がなければテスト勉強を前から始めることができてテスト直前に知識を詰め込まなくてもいいのである。だから矛盾はよくないのである。



 第2の理由は矛盾が生じるとどちらを信じていいのか分からなくなってしまうからだ。そもそも『矛盾』という言葉の語源は中国の話にある話が語源とされている。昔の中国で鉾と盾を売っている商人がいた。その承認はこの矛はとても鋭くどんなに鋭いものでも突き通すことができるといった。また、同時にこの盾はとても固く、どんなものでも突き通すことはできないといった。その話を聞いていた客がではあなたの矛と盾で戦ったらどうなるのかと聞くと商人は何も答えられなかったという事で矛盾という言葉になったらしい。また、ことわざで二度あることは三度あると3度目の正直は全く逆の意味でこの2つは矛盾している。どちらが正しいのか、どちらを信じていいのか分からなくなってしまう。このぐらいならまだ大丈夫ならもっとおおきなこととなると社会が混乱に陥る。だから矛盾はいけないのだ。



 確かに、矛盾があることによって、自分の考え以外のことも考えさせられるようになるから、いい点もあるかもしれないが、人はその制服の通りの人間になるというナポレオンの言葉にあるように、矛盾は制服を着ていると、周りから見られていると思うから矛盾することをしなくなる。矛盾すると何を信じていいのか分からなくなってしまう。また、矛盾することによって誤解を引き起こすことにもつながるかもしれない。だから常に矛盾しないように気を付けて生活をしていかなくてはならない。大きな矛盾が起こると日本中で大騒ぎになってしまうかもしれない。そうならないためにまずは小さな矛盾からなくしていけば大きな矛盾もなくなるに違いない。