普段私たちはコインを
   中1 あえなて(aenate)  2025年4月2日

 コインは年中円形に見えるわけでは無い。水平方向から眺めれば、明らかに、薄い長方形に見えるはずだ。短い棒状に見えるはずだ。そして私たちには、そんなことはわかりきっているように思われる。レトリックは、私たちの認識後言語表現の避け難い一面生を自覚し、それゆえに、もっと別の視点に立てばもっと別の展開がありうるのではないか……と探求する努力のことでもある。想像力と創造力の営みである。



物事を多角的に見るのは良いことだと思う。

 その理由は第一に、物事を多角的に見ると、新しい発見があるからだ。その実例は僕が六年生の頃の話だ。算数の授業の時間で、こんな問題があった。「そうだと思うか」「そうだとは思わないか」と言う選択式の問題があった。これにはちゃんと理由があった。しかし算数だから答えは一個しかないのだ。だからしっかりとした明確な理由があっても答えはどっちかなのだ。その二つの意見で論争が起こる。結果は一個なのだがそこに至るまでが算数は大事だと言う。だからいろんな人の意見も聞いて、最終的に自分の意見を出すのが僕は良いと思った。僕はこれからこう言う場面があったら、人の意見に耳を傾け思いもよらぬ新たな発見をすることができたし、物事には多面性があることに気付いた。この経験は僕にとって良い経験だった。

 その理由は第二に、一面的な見方では物事の真の姿が見えてこないからだ。この実例は母から聞いた話だ。母は、保育園で仕事をしている。保育園では、子供の数だけお母さんやお父さんがいて、毎日いろんな意見を言われる。例えば、子供がお腹空いてなさそうだったら、もう少し遊ばせてからご飯の時間にして欲しいと言われる。しかし保育園ではみんなで同じことをやるのも大事だし自分は今やりたく無いことも多少我慢することもあるしそれも長い目でみたれ成長だと考えることができる。ときには母親と保育園側の意見が噛み合わないこともある。そう言うときには、最悪他の保育園に移ってしまうことがあるため、しっかり母たちの意見を受け入れることもとても重要だ。お互いに「なるほど、そう言う考えもあるんだな」と思えるとベストだが思えないと人生が大きく変わってしまう。このような話を聞いて物事を多角的に見ないといけないと思った。

 確かにいろんな考えがあるからと言って、どれもこれも採用しようとすると逆に物事が何も進まないかもしれない。しかし、「雑草とは、まだその美点が発見されていない植物である。」と言う名言もあるように、物事を多角的に見ることで、思わぬ発見や価値を見出せることがあるのだ。そのためには、自分だけの考えだけでなく、周りの友人や大人の意見を聞いたり新聞の意見欄などを読んで見識を広げていきたい。