完全な他者
高2 かずま(auyoto)
2025年4月4日
その昔、サングラスを持つということはちょっとした冒険であったらしい。サングラスというのは、例えば世間に対して少しばかり後ろめたいところのある人がかけるものであって、それだけにややロマンチックな趣はあったものの、当然ながら周囲からそれらしい目で見られた。もちろん、今はもうそんなことはない。現在は、人々がサングラスをかけて街を歩いているし、誰も振り返ってみたりはしない。後暗い人、という印象も薄れた代わりに、それに伴うロマンチックな趣も消えてしまった。ただ、そうかといって現在サングラスをかけている人が、光から目を保護するためにそうしているとは思えない。もしかしたら、周囲の人々の「隠れているな」という関心をひかなくなった分、よりさりげなく隠れることができるようになったのかもしれない。最近対人関係が淡泊になったと、よく言われる。憎むことも愛することにも、さほど情熱的でなくなったのだ。そして、そのこととサングラスは無関係ではないようである。おそらく、我々は対人関係のわずらわしさから逃避し、自分自身の内側へこもり始めたのだ。しかし私には、一概に現代人の対人関係が軽薄になったという実感はない。高校でも、皆誰かしらと会話を楽しみ、笑い声や呆けた声が、教室や廊下などいたるところから聞こえてくる。体感としては友人関係などはむしろより活発になっている傾向があるように思えてならない。しかし、他者との関係は今までにないほど冷え切っていると言わざる負えないと思う。
その原因として第一に、ひと昔前は活発であった、お隣さんと不足品などを工面する程度のかかわりの薄い人間関係が減少したことが挙げられる。現在を生きている学生として、ご近所付き合いという言葉はもはやフィクションの中の言葉といっても差し支えないような気がする。もちろん、稀にあいさつを交わしたり、引っ越してきた人から粗品を受け取る程度のことはあっても、漫画やアニメのように井戸端会議が発生することもなければ、お隣さんというだけで何時間も談笑にふける親の姿を目撃したことはおそらくない。ご近所付き合いは昔よりもはるかに減少していることだろう。ご近所付き合い以外でも、たとえば顔なじみの店があるわけでもなく、友人の親と話すという機会もない。もちろん私は別に昭和や平成の前半を生きてきたわけではないので、実際に会議や談笑にふける親の姿が本当にあったかはわからないし、個人の例なので、単に私が家から出たがらない故の結果なのかもしれないのは頭に入れておく必要がある。だが、私の縁と言えるものは、友人や家族などのそう簡単には切れないものか、逆にまったくの赤の他人か、よくて挨拶をしたことがある程度の冷え切ったものが大部分を占めている。このように関係としての他人が増加している原因は昔のように、関係の薄い人物を話す機会がないからだと思う。隣人付き合いはトラブルを恐れる姿勢や、今の個人が経営している店などが少なく、○○屋さんよりも、スタッフとして隔絶された環境が主な原因だろう。別に若者が自分本位で、自らの世界に引きこもっているわけではない。若者も、友達やクラスメイトと談笑したり、バカ騒ぎをしょっちゅうしているからだ。自分との接点のない人物と会話をする機会がなくなってしまっただけだ。他者とのつながりの喪失は、コミュニケーション能力の低下と、人間関係の希薄化などを生み出してしまう。現在の他者との冷たい関係を改善しようとするならば、まずこの原因を把握するべきだと思う
第二の原因として、個人主義的な現代の若者は、第一の原因と被るが、現代社会はよく個人主義だといわれている。利己的な思想が若者の間で主流となっていて、他人のことなど眼中にないというのだ。さすがに、そこまで過激な個人主義者で、他者に興味がないという若者は少数派なように思える。しかし、他者と関係を持つ可能性は減った。なぜなら、個人主義の影響でもはや他人と仲を深める必要性がないと、若者が感じ始めているからだと思う。若者は、別に自分以外の人間が必要なくなったわけではない。友達が欲しいのは古今東西同じだし、コミュ力不足を嘆く声もしょっちゅう聞こえる。しかし、それは友人関係ほどに発達した関係の話である。お隣さんだとか近所のおばさんおじさん、○○屋さんだとかの関係の薄い関係が今どんどん減っている。そして一度そのような薄い関係が若者になって疎遠になると、皆一応にその道を避けたがるのだ。なぜなら、若者は友人を作ること、めいいっぱい遊ぶこと、勉強を頑張ること、就職を頑張ることなど、やることが多すぎるくらいだ。そんな中で、トラブルの物にもなりかねない隣人付き合いだとかに手を出す暇ができるとは思えない。世代の差によって隣人関係が円滑にすすまないことも多々あるだろう。わざわざリスクや難易度の高い人間関係を構築するのは、個人主義的な若者からしたらハイリスクローリターンと言えるものを結びたいわけがないだろう。そうして、現代の若者は完全な他者と関係を持たなくなっているのだと私は思う。ご近所付き合いは総じて面倒なものだと思われてしまうからだ。実際は面倒くさい面もあるし、逆に軽く意気投合し、何か困りごとがあれば助け合うような間柄になるかもしれない。しかし、現在完全な他者との関係で、面倒な部分だけが一人歩きをしているように見える。実際はめんどくさい一辺倒のようなことはないというのに
たしかに、隣人付き合いなどの完全な他者との関係は時に唾棄すべき結果を生み出しかねない。お互いに敷地が近い故、騒音トラブルや敷地の境界トラブルなど法律も絡んでくる問題が発生しやすい。隣人ガチャという言葉さえ生まれた。それに店員さんとの距離も現代ではだいぶ遠くなっている。昔のように特定の一人に会える個人店などで買い物するのではなく、多くの従業員がいるチェーン展開したお店が増えて居るのも原因の一つだろう。完全な他者との関係構築が難しく、そして誰も求めなくなっているのだ。しかし、完全な他者との関係はなにもデメリットばかりではないだろう。意外とデメリットばかりに見える物でも、思わぬリターンが得られることはある。困ったとき、助け合えるというのはその中でもかなり大きなメリットであろう。物の貸し借り、非常時の協力、寂しい時の晩酌のお供なんかも得られるかもしれない。人間関係が仲のいい人か、完全な他者に二極化されていては、べつに生命にかかわるほど困るわけでもないが、隣人付き合いなども、しておいて損はないだろう。方法は、何かしらあるであろうし