命について_清書
   小4 みきひさ(mikimiki)  2025年4月4日

 「ミイラ取りがミイラになる」という諺は、ミイラを取りに行った人が目的を果たせずに自分もそこで死んでミイラになってしまうことから生まれた。中世から十八世紀のヨーロッパでは、このミイラが医薬品としてもてはやされた。ミイラを見つけて手に入れるとたくさんお金が儲かる。そのため、ヨーロッパでも日本でも、危険を知りながら「ミイラ取り」に行った人がたくさんいたらしい。「常識のことわざ探偵団」を読んで一番印象に残ったのは、ミイラを取りに行った人が、ミイラになってしまうところである。なぜかというと、ミイラを取りに行ってミイラになってしまうので、怖いと思ったからだ。まるでアジの干物みたいになってしまったミイラを想像するだけで、ブルブル震えてしまう。

 

 もし、僕だったら大金よりも命の方が大切だと思う。だから、絶対にミイラを取りに行かないと思う。しかし、中世から十八世紀のヨーロッパの人々は、命よりも大金の方を欲しがった。その理由の一つ目は、自分は死んだとしても大金を得たら、誰かにそのお金を分けることができると考えたからだろう。二つ目の理由は、いなくなった人をとても愛しており、助けようという気持ちが出たからだろう。中世のヨーロッパは、キリスト教が社会、政治、社会、文化の基盤であった。キリスト教とは、“神の子”である「イエス・キリスト」の教えを信じる宗教である。イエス・キリストは、「心を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」 と説いている。つまり、イエスは「神と隣人への愛が大切」と説いているのだ。だから、危険を冒してでも、人々はミイラを取りに行ったのだ。キリスト教が中世の人々に大きな影響を与えていたことに驚いた。



 僕の考え方は、中世のヨーロッパの人々とは違う。やはり、命は一番大切だと思う。なぜなら、命がなければ、生きることができないからだ。僕は、これまでに自転車に乗っていて、何度も車とぶつかりそうになったことがある。その度に、

「やばい。危なかった。」

と、ふと安心し、命があることに感謝してきた。命は大切なのだ。



 人間にとって、命は代えがたいものだ。たとえお金がたくさんあっても、命がなければ、大金を使うことはできない。人を助けることもできない。確かに愛も大切ではあるが、死んでしまっては意味がない。「命あっての物種」という諺の通り、これからも命を大切にしていきたい。