現代日本
高2 たくま(aiyono)
2025年4月1日
現代の日本では物質的な豊かさばかりが追求され、精神的豊かさが蔑ろにされてきた側面がある。GDPなどという妙な指数で国力を測るになった結果、常に数字でしか国の豊かさを判断できなくなってしまった。一体、この歪んだ日本を生み出した原因は何であろうか。
一つ目の原因として挙げられるのが、資本主義という爆弾を抱えながら、常に西洋諸国に追随してきた高度経済成長の時代があったからだろう。高度経済成長期、文字して並べてみれば、どんなに輝いていることか。しかし、この時期は文字の輝かしさに反比例し、負の遺産を残し続けてきた事実がある。高度経済成長を迎える前、日本は貧しかった。戦後闇市に代表されるように、住む場所もなければ、ものを買う余裕すらない。そこで日本は、自らを打ち負かしたアメリカの資本経済を真似てみることにした。たった二十年で焼け野原だった東京は、摩天楼が立ち並ぶような世界都市へと急変、庶民の生活も物質的な貧困に悩まさることはなくなるほど、豊かな時代へとなった。だが、その物質的な豊かさと引き換えに、人々は精神の豊かさを消失した。世界都市となった東京は人情が失われ、どこか冷たい都市となり、その流れは田舎にも波及し、人々は地域でのつながりを蔑ろにするようになってしまった。大人たちは子どもたちに安定した生活を求め、良い大学へと入り、良い会社へ就職することが安泰の道とされた。この浮足立った日本の風潮はバブル崩壊まで続くこととなるが、良くも悪くも高度経済成長は日本を劇的に変化させてしまった。今の日本にまで続く、狂信的なまでの物質的豊かさへの崇拝は、この時生まれたと考える。
二つ目の原因として挙げられるのが、日本の敗戦による戦前文化の否定だろう。私が思うに、戦前日本は物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさの方を重要視していた。その例を挙げれば、大戦末期での神風特攻隊の存在だろう。自らを人間爆弾とし、敵へと突っ込むという狂気的な戦法が実行できたのは、高度な精神の豊かさを持っていたからである。私は以前、特攻隊の遺書を読んだことがあるのだが、少し引用させてもらおう。「…このような特攻と呼ばれる戦術が用いられるのは、後にも先にもこの日本でのみでしょう。精神の国日本であるからこそ、特攻が実行できるのだと思います。」強固な精神がなければ、自死強制である特攻を行えるはずがない。戦前の特攻隊員及び国民は、精神が人間の根本と考えていたからこそ、たとえ貧しくとも豊かに暮らすことができていたのではないだろうか。少なくとも私はそう思う。しかし、このような文化も日本の敗戦に伴う、GHQ指令により徹底的な排除が行われるようになっていく。アメリカは狂気的とも言える日本の精神の原点を探し出し、徹底的に破壊した。それは神道であった。個よりも公を優先し、全体の利益となることを考えるという精神は、国民一体となって進行していた神道にあったと、アメリカの学者たちは考えた。神道指令により国家と神道が切り離された結果、日本は精神を骨抜きにされたまま、真の意味での豊かさを享受できない物質的な豊かさだけを手にすることになったのである。
確かに、物質的な豊かさというものは、生活から切り離せないものだ。極度に利便化された現代社会の蜜を吸ってしまった我々が急に、原始的な生活ができないのと同様に、物質的な豊かさはやはり必要なのである。しかし、物質的な豊かさを極限まで突き詰めたといえる現代日本で、真の幸福は得られるのであろうか。戦前の特攻隊員が示したように、人間、いや日本人の根底をなすものは、二千余の年数をかけて築き上げられた豊かな精神である。現代日本人はそれを消失してしまったがゆえ、物質的な豊かさを追い求めることで誤魔化そうとしているが、それも限界を迎えつつある。今こそ、日本人にとっての真の豊かさとはなにか、これを考えるべきときに来ているだろう。