意味のない心配と、不可能のない考え
小5 あけのの(akenono)
2025年4月4日
筆者は小さいころ、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わった。筆者が小学生くらいのころ、家の近くの川で遊んでいた。少し流れのはやいところへ泳いでいき、また浅いところに引き返していた。ところが、気が付いたら、流れが速いところへ行ってしまった。戻ろうと暴れても、流れはますます速くなるばかり、どんどん波に引き込まれていった。そこで筆者は、下のほうへ行けば流れが緩く浅いところへ行けると思い、下のほうを目指して泳いだ。すると、筆者の予想通り、流れもゆるく、浅いところへ行くことができた。それからは、立ち向かってきた困難を素直に受け入れ、そこからも学ぶという気持ちで立ちはだかってきた課題に取り組むようになったそうだ。
私は、小学1,2年生のころに広いドラックストアで迷子になったことがある。興味があるものをずっと見ていて、気が付いたらお母さんがいなくなってしまったのだ。その時はキッズ携帯など連絡ができるものも持っていなく、もちろん鍵もなかったので、もう二度と家に帰れなくなって、家族にも会えなくなるかもしれないと思い、泣き出しそうになった。私は、まるで心の中がもわっとした黒色の雲で満たされ、その雲から灰色の雨が降っているような気分だった。しかし、このままではだめだと思い、気持ちを切り替え、何か解決策はないかとよく考えた。それまではどこにいるのかわからないと思っていたが、その時ドラックストアに行った理由はトイレットペーパーを買うためだった。ふとそれを思いつき、トイレットペーパーが売っているところへ行くとお母さんがいた。私が来た時に、お母さんは
「ん、どうしたの?何か欲しいの?」
と気楽に言っていたので、私は必死に探したのにこの反応なのかと少しがっかりしたが、それよりもおかしさがこみあげてきた。
その気楽なお母さんも、ピンチに遭遇したことがあったそうだ。それは、カナダへ旅行に行ったときに、パスポートやお財布など大切なものがすべて入っている大事なかばんを、カフェの椅子に置いたまま店を出て行ってしまったということだ。旅行で疲れてしまったお母さんは、カフェでゆったりと過ごしていたそうだ。そこでかばんを椅子に掛け、コーヒーとお菓子が来るのをのんびり待ち、のんびり食べて、大満足で店を出たと言っていた。しかし、その時はカバンを椅子に掛けたままだということに気がつかなく、街をルンルンな気分で散歩していた。しばらくして、カバンがないことに気が付くと、それまで味わっていた幸せな満足感がろうそくの火を吹き消したかのように消え、入れ替わるように地獄のような絶望を感じたと言っていた。数十秒の間、お母さんはパニックになって何か考えられる状態ではなかったが、このままでは絶対にかばんは見つからないと思い、冷静に考えてみたという。すると、カフェに置いてきてしまったかもしれないという考えが浮かび、急いで向かったところ、店にかばんがあったそうだ。それからは、何かピンチに遭遇したら冷静に考えると出口は見つかると思うようになり、その時の経験を生かして一大事にはならないようにできたと言っていた。私はお母さんの話を聞いて、気楽なお母さんにもそんなことがあったということに少し驚き、逆にそのことがあったからずっと気楽に過ごせるのかもしれないと思った。
私は、どんなピンチも素直に受け入れて、冷静に解決策を考えることが大切だと分かった。実際、ピンチの時にはパニックになってしまうことがほとんどだ。「どうしよう」という気持ちが大きくなってしまうからだ。しかし、それを「こうしよう」に持っていくことで、ピンチから逃れることができると思う。これは、意味のない心配と、不可能のない考えという、2つの存在からなるものだと、私は思う。