人びとが時間に(感)
中3 あきえよ(akieyo)
2025年4月4日
人びとが時間に追われるようになったのは時計が発明されてからといわれている。また、人びとが時間に追われるようになったもう一つの理由は、テレビ画面の隅に時刻が表示されるようになったことである。だからこそ、能率的、効率的でない時間の使い方のできるチャンスをいかにして確保するかが、私を含めて多くの日本人の課題であろう。私は、いつも前日に立てた予定の通りに動いているだけで、その時間の通りにしか動けていない。だから私は、時間に縛られず自由に生きていきたい。そのためにはどうしたらよいだろうか。二つの方法が考えられる。
そのための方法としては第一に、物事に熱中することだ。今年から中学三年生になった私は今、数えきれないほどの課題に追われている。それは、一つ上の学年に進級したことの証であるが、それがまだ慣れていない私にとっては厳しい。そのためか、一年前の時より時がたつのが早い気すらしている。また、色々な課題を同時に進行しているせいで、何か一つの物に熱中できていない不完全燃焼な感覚を常に抱えている。しかし、先週ほど前から私は、「ゼルダの伝説」というゲームに再ハマりした。というのも、コースのクリアをするのが難しかっため、去年から放置していたのだ。一つの物、しかもゲームに熱中することは久しぶりだったため、少し勉強の時間に食い込んでしまうことも多々あった。しかしゲームをすること自体は、学校で溜まったストレスを発散する方法としてはもってこいだった。だから私は、何かに熱中することは、時間から解放される方法として良い方法だと考えた。
また、第二の方法としては、ゆとりをもって生活をすることだ。日々沢山の課題に追われている私は、いつも手帳に書いた予定でテキパキと動いている。また、過度の心配性な私は、終わっていない課題があると無理やり時間を作ってでも終わらせようとするタイプだ。それらのせいもあってか、最近ゆとりを持って生活できていないように感じる。この作文を書くにあたって自分の生活を見直してみたところ、毎日家に帰ってからというもの、スマホやテレビを見るか、昼寝をするか、勉強するかの三つの行動しかほぼ行っていないのだ。ネットを遮断して、テーブルの上でのんびりとお茶を飲みながらまったりとした時間を過ごす、というようなゆとりをもった時間を持てていない。だから私は、すき間時間にまで勉強をしてしまう性格を脱却して、今自分が思い描いている理想の「ゆとりを持った生活」ができるような時間を作っていきたいと感じた。
確かに、時間通りに動くことは効率的に多くの作業を行うことができる。しかし「自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。」という言葉があるように、日々私たちは目に見えない時間に縛られながら生活をしている。だから私は、時間に縛られることなく主体的に生きていきたい。