古いものと新しいもの
中2 マムアン(mamuan)
2025年4月4日
最近、ラ抜きの助動詞がよく使われていると感じる。ラ抜き言葉とは、『られる』という助動詞の『ら』を抜いて『れる』とする言葉のことだ。日本人が日本語という言語に対して手抜きしている結果自然とそうなった。ラレルという助動詞は受け身、敬意、自発、また可能を表すことができる。けれどその使い分けがめんどくさいと感じ始めた日本人はら抜きに可能な表情を、ラレルには敬意の表情を任せることにした。ら抜きを認めるかは人によってそれぞれだ。言葉の使い方はそう簡単に変えて良いものではない。しかし、だからといって悪いと断定できるわけではない。どちらを使うかにおいてはまだ正しい答えがないのだ。言語は時代とともに変化するという考え方は、言語学でも重要なテーマである。
ラレルのように、古くからあり、正しいものは大事だ。こうした「昔からあるもの」を大切にする例として、年賀状が思い浮かぶ。日本では、お正月に年賀状を出すのが長く続いてきた習慣だ。お正月のハガキと考えると私は小学生の頃、お世話になった先生方や、知人に全員手書きのハガキを出していたことを思い出す。昔の私は、ハガキを書くのが嫌いで、「携帯で打てたらいいのに」と考えていた。しかし友達に携帯でお正月の挨拶をいざしてみると、何か物足りない気分になる。今考えてみると、ハガキは人と人を繋いでいたと気づく。ハガキを出した友達からハガキをもらうと、自分の存在を認めてもらっているような気がするからだ。最近では携帯のメッセージアプリで年明けの挨拶を済ましてしまう人が多いと聞く。送信ボタンを押すだけで届くし、手を痛めながらメッセージや住所を書く必要がないからだろう。人間のめんどくさがりやな本能が出てきているということだ。けれどこのままでは絶対に日本の年賀状を送るという習慣がなくなってしまう。お正月に手紙を交換するという習慣は平安時代からあるものであり、これから先もこの習慣は守らなければならない存在である。古いから、という理由でこのような文化を切り離すのは無思慮だ。
その反対に、新しいものも便利だ。例えば年賀状を出す代わりに携帯でメッセージすることがそうだ。今では世界の約85%の人がスマートフォンを持っており、メッセージを送れば数秒で相手に届く。一方、ハガキは1通85円かかり、届くのに数日かかる。どちらがいいかと言われたらそれは携帯だ。人間はもっと早く、正確に物事を処理することが好きだ。その傾向は年賀状にまで出ている。また、昔は会社員といえばスーツ姿だったが、最近では「ビジネスカジュアル」といって私服を着て行っていいという会社が増えている。特にIT企業ではTシャツやパーカーで出勤する人も多く、新しい、時代にあったスタイルが生まれ始めている。このように昔の習慣にこだわらず、新しい生活スタイルを切り開こうとするのは大事だ。
確かに古いものは伝統的なことがあり、守らなくてはいけない。一方で新しいものはもっと早く、でも、一番大切なのは、そうしたものを「どう使っていくか」だと思う。新しいものでも、昔からあるものでも、自分に合った使い方をすればいい。便利なだけで選ぶのではなく、自分らしく、心が動くような選び方をしたいと思った。「物の使い方を変える」というこの一歩で人生も変わるのではないか。