日本語の誤解
   中2 すみひな(sumihina)  2025年5月1日

 住空間を快適に保つには、物を減らし、簡素に暮らすことが大切である。日本人は戦後の快適さを「所有」などの物を持つことに求めた。しかし、本来の快適さとはどれだけ物を少なく保つかにあると思う。欧州やアメリカの住居は日本と比べ、テレビやソファーなどの家具は大きく、ものは多くていかにも雑然とした雰囲気だ。しかし、どんなに豪華なものでも不要なものは日常に濁りを与えてしまう。また言語の違いを挙げてみると、日本語は島国的な「通人」の言語であり、冗語性が少なくても意思疎通が可能だ。島国言語は相手に対する思いやりが行き届いていることが特徴だが、それに対しヨーロッパなどの大陸言語は文法や使い方がはっきりしている。しかしその分、冗語性をあまり少なくすると、相手に誤解を与えかねないことがあるので丁寧な表現をしなくてはならない。



 日本語は相手に対する、思いやりや配慮が言葉に表れることが多い。それが前提となっているゆえに、短い言葉でもお互いに通じ会えるという良さがある。私も、友達同士で共通した好きな先生にあだ名を付け、仲間内だけで話したことがあった。そのせいか、その友達とは今でも仲がいい。また、日本語は難しいとも言われる。一つの言葉が多様な意味で使われ、誤解を生んでしまうからだ。その一つとして「適当」などがある。「適当なタイミング」はちょうどよい、という肯定的な意味で使われているが、「適当な返事」の場合は不真面目などの否定的な意味を持つ。しかし、難しくても島国言語だからこそ、学ぶ意味があると私は思う。

 

 それに対して、大陸言語は文法などを使うので、正しい意思疎通をするのには大陸言語のほうが適していると私は思う。日本では京都などが遠回しな言い方をする地方としてあげられる。しかし、日本全国にあるあいまいな表現として「前向きに善処します」や「検討します」などがある。日本では「やんわりと断っている」つもりなのだが、海外でのビジネスでは「しっかり考えてくれる」「この案が通る」と勘違いされてしまうことが多い。実際にIT企業が、ベトナムの企業との交渉で「検討します」という返事をしてしまい、合意に至ったと思っていたところ、後日白紙になった紙が帰ってきたというケースがあったそうだ。私も、このような曖昧な表現を使うときには気をつけるようにしたい。



 たしかに、島国言語にも大陸言語にもそれぞれの良さがあり、特徴があり、場面に応じて使い分けすることが必要だと思う。また、世界の中には様々な言語があり、それらを使いこなしていくことは極めて難しい。たった3ヶ国語でも単語や文法の違いにとどまらず、文化・思考様式・価値観の違いが多々あるのだ。誤解を与えてしまうこともあるかもしれない。しかし、いちばん大切なことは「思いやりのある言葉は、国境も心の壁もやわらかくする」という名言があるように、少しでも相手を大切に思う気持ちが自分の発する言葉に込もっているかではないだろうか。私はこれから、相手にきつい言い方をしていないか、しっかり伝えたいことが伝わっているかを意識しながら話してみたい。