言語の特質
   中2 あきかは(akikaha)  2025年5月1日

島国言語の特色のひとつは、相手に対する思いやりが行き届いていることである。もうひとつの特質は、話に通じがたいへん良いということである。さらに、家族同士の会話を社会全体でもやっているような言語であり、大陸言語に比べて冗語性が少ないのだ。私は、固有種、在来種、外来種という括りと同じように、言語も分類することができるのだと初めて知った。しかし、特色をもとに分類をしていくと、「どちらが良いのか」という議論になってしまうものである。



確かに、島国言語は、話す者同士での特別感があり、心地良いという良さがある。私は昨年度の移動教室で、同じ班のメンバーと、忘れられない思い出を作った。私の班には、絵が得意な人がいた。だから、その人を中心に、想像上の人物をキャラクター化させた。完成したキャラクターは2人で、それぞれ顔と身体のどちらかがユニークという変わり種だ。そのキャラクターは、クラス替えをした今でも、そのメンバーだけの秘密となっている。このように、人間同士で特別感を感じると、仲間意識を強く持ちやすくなる。仲間意識を持っていると、いざとなった時に助けたり、助けられたりという、相互扶助を行える。それは、言語の場合でも同じである。狭い世界の中だけで通用する言語というものには、どこか惹きつけられるものがあるのかもしれない。



しかし、広い視野を持った際にも弊害にならない、大陸言語の方が優れているという意見もある。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」などで有名な夏目漱石は、広い世界に出た際、現地に馴染むのに苦労したらしい。漱石は、高等学校在学中に文部省から、2年間のイギリス留学の命令を受けた。実際にイギリスへ旅立ってみると、言語や文化の壁だけでなく、孤独や劣等感にも苛まれ、精神的に苦しんだそうだ。さらに、学者になってからも、イギリスのロンドンへ行き、その際も、多大なる苦労をしたそうだ。漱石はそれまで、日本の狭い学者社会の中で過ごしていた。そのため、ロンドンでの、あまりの価値観の違いにショックを受けたのだ。このように、広い世界へ進む際には、共通していない様々なことに悩まされる。言語に関しても、同じことが言えるだろう。性質の違う島国言語ばかり使っていては、弊害が付きまとった状態になる可能性があるのだ。



島国言語も大陸言語も、どちらも一人だけではない誰かが考えてでき、幸運なことに、それが現代にも残っているから使われている。残っているということは、それだけの良さがあるということだ。だから、「どちらかが良い」という考えに至ってしまうかもしれない。しかし、最も大切なことは、それぞれの言語を大切にする人の思いに共感することである。「トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである」という言葉があるように、特徴など関係なしにどちらかに偏っていると、それだけ損をしてしまう。私たちは、どの場面でどの言語が相応しいのかを、まずは学んでいくべきなのだ。