あさひさん、こんにちは。

現代社会における価値の多様性を理解する重要性と、そのために必要なレトリックの能力について深く考察しています。
まず、レトリックという概念(がいねん)をコインの例を通じて説明し、物事の多角的な見方を示すための手法として分かりやすく導入されています。
また、ジェンダー平等やLGBTQなどの社会的議題に対して、レトリックがどのように役立つかを、具体的な事例を挙げて効果的に説明しています。

さらに、司馬遼太郎の引用を用いることで、日本社会の特徴(とくちょう)とレトリックの必要性を歴史的文脈に位置づけており、その引用が論点を強化しています。
このように、あさひさんは多くの事例と引用を交えながら、レトリックが個人だけでなく社会全体にもたらすプラスの影響(えいきょう)を力強く主張しています。
そして、最終段落での「叶わせるべきだ」という言葉は、読者に対する強い呼びかけとなっており、文章全体を締めくくる(しめくくる)には非常に効果的です。

以上の点から、あさひさんの作文はそのテーマに対して深い理解と熱意を持って書かれており、読む者に強い印象を与える(あたえる)ものとなっています。

内容★     

字数/基準字数:1314字/600字
思考点:95点
知識点:76点
表現点:72点
総合点:79点
(新しい森リンで仮の点数を出しています)

 


■思考語彙 27種 36個 (種類率75%) 95点
、第,あろう,いけば,いるかも,しよう,するため,するべき,せざる,せるべき,たかも,だろう,といえ,と一方,と思う,と思える,に思える,に考える,のため,は確か,は第,みれば,を思う,主張に対して,兼ね備えるべき,努めれば,受け入れよう,思うから,

■知識語彙 56種 94個 (種類率60%) 76点
不可能,中傷,主張,事例,価値,古風,司馬,名言,問題,固定,均一,多数,多様,太郎,女性,実現,常識,平等,影響,必要,意図,意見,感情,感覚,日本,日本人,最近,概念,様子,権利,活躍,獲得,理不尽,理由,理解,目標,相互,相手,社会,社長,神聖,立場,精神,肝心,能力,脅迫,自分,自身,行動,視点,視野,言葉,誹謗,賛同,返答,風潮,

■表現語彙 98種 182個 (種類率54%) 72点
いじめ,いつか,かた,こと,これ,これら,さまざま,さん,するため,それ,たち,つめ,どちら,のため,は確か,ふたつ,みんな,め,もの,よう,レトリック,一,不可能,世の中,中傷,主張,事例,二,人,今,価値,側,別,古風,司馬,名言,問題,固定,均一,外れ,多数,多様,太郎,女性,実現,常識,平等,影響,必要,性,悪,意図,意見,感情,感覚,新た,日本,日本人,最近,概念,様子,権利,歩,気,活躍,獲得,理不尽,理由,理解,番,的,目標,相互,相手,社会,社長,神聖,私,立場,精神,考え,考え方,肝心,能力,脅迫,自分,自身,行動,表,視点,視野,観,言葉,誹謗,賛同,返答,遼,風潮,

■経験語彙 36種 57個 (種類率63%) 73点
えがく,しれる,せる,といえ,と思う,と思える,に思える,に考える,はずれる,もみ消す,やる,られる,れる,を思う,似る,例える,兼ね備える,努める,動かす,受ける,受け入れる,叶う,増える,守る,感じる,掲げる,欲する,溢れる,無くなる,異なる,立つ,覆す,見える,見下す,違う,間違う,

■総合点 79点

■均衡点 1点
 

ふだん私たちは、コインを
   中3 あかとあ(akatoa)  2025年4月4日

 ふだん私たちは、コインを丸いものと見なしている。けれども、水平方向から眺めてみるとあきらかに薄い長方形にも見える。このように多角的に考え、かつ多角的な言葉によって表現することをレットリックという。このことは現代社会における価値の多様性に似ているものだと思う。価値の多様性の問題とは、ものの見かたの多様性という問題でもある。このことで肝心なのは、相手の立場、別の視点に立ってみればそんなぐあいにものが見えるか、ということを思いえがいてみる能力である。このことからも、新しい視野を獲得するためにも、また、相互理解のためにも、レトリック感覚が必要とされると思える。

私はレトリックを兼ね備えるべきであるという意見にとても賛同する。

その理由は第一に、レトリックな考え方が社会を大きく動かしたと思うからだ。

最近では、SDGsの5番「ジェンダー平等を実現しよう」という目標が掲げられ、特に日本ではジェンダー平等という言葉からさまざまな影響を受けた。今までの日本では「常識」という固定概念があったように思える。けれども、その常識からはずれて自身の意見を堂々と主張する様子が最近、よくみられる。例えのひとつめとして「女性の権利」では「女性なのに社長」と見下される風潮があり、今までも理不尽だと感じることもあったかもしれないが、決してそれを理不尽だと主張することはなかった。けれど最近、それはおかしいと主張するかのように堂々と女性が表だって社会で活躍している。このことは日本の固定概念を覆す一歩となったであろう。そして、ふたつめ[lgbtq]では「人と違う自分がおかしい」と常にこれまでの常識と異なる価値観を意図せず悪としてもみ消してきた。けれども最近、「私たちは悪ではない、受け入れてほしい」と主張する人が増えてきた気がする。これらの事例はどちらもレトリック精神溢れる行動といえるだろう。少なくともこのふたつの事例が社会を大きく動かしたということは確かだ。

そして、第二の理由は、レトリックな考えが世の中をよりあたたかいものにすると思うからだ。

このレトリック精神は主張する側だけでなく、受け入れる側にも必要なものである。レトリック精神溢れる行動から、常識外れな主張に対して「それは違う」と一方的な感情で返答するのは間違っていると思う。受け入れる側もその主張をレトリックに考え、受け入れるように努め、また、新たな意見を主張するべきである。このように互いに受け入れよう努めれば、いじめや誹謗中傷なども無くなり、今よりもあたたかい世の中になるのではないか。

このふたつの理由から私はレトリックを兼ね備えるべきであると思う。

それでも、みんながレトリックを兼ね備えるなんて不可能ではないか。と思う人もいるかもしれない。けれども、司馬遼太郎さんの「日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。」という名言から、私は今までの日本の古風な考え方をずっとみんなで守ってきたように少しずつでもこのレトリックを常識にしていけばいつか叶うと思っている。いや、叶わせるべきだと思う。