人のせいにしない
   高1 ヨーヨ(waoho)  2025年5月2日

一つの集団は、裏切り者と犠牲者を生み出すことによって完成される。神に対する絶対的な帰依だけでは集団は不安定である。集団の内部を律する緊張を生み出すために、キリスト教は内部にユダという裏切り者を生み出した。私たちは内に敵を作らなくてもやっていけるように、個々人がもっと強くなっていくべきだ。

 そのためには第一に、心構えとして大切なのは、うまくいかないことを他人のせいにせず、まず自分の努力不足として受け止めることである。確かに、あの人がいなければ成功していたかもしれないという場面はあるだろう。しかし、予想外の出来事や気に入らない状況は、社会の中ではごく当たり前に存在する。そのうえで、なぜ自分はその状況を乗り越えられなかったのかという視点で振り返るべきなのだ。また、他人のせいにしてしまうと、自分は悪くなかったという錯覚に陥りやすく、その結果、自分の成長の機会を逃してしまうと思う。うまくいかなかったとき、誰しも改善すべきポイントが必ずあるのであり、全く非がない人などいない。たとえば、サッカーなどのチームスポーツでは、一人がどれほど優れていても勝てるとは限らない。ここで、強い選手が周囲のせいにするのは愚の骨頂である。そのような人こそ、アドバイスをしたり、こうしてほしいと具体的に伝えたりと、積極的にコミュニケーションを図るべきであり、自分は関係ないと放棄してはならないのだ。逆に、野球においても、大谷翔平のようなスーパープレイヤーが得点を重ねたとしても、チーム内に信頼や意思疎通がなければ、守備が崩れ敗北することだってある。つまり、集団の中で課題をまったく持たない人など存在せず、自分に課題がないと思い込んでいるリーダーこそ、もっとも改善すべき存在なのだ。そして、一度感情を抑えて冷静になることで、物事を客観的に捉え直すことが可能になる。それにより、チームの雰囲気を感情的に壊すことを避けつつ、今後に向けた建設的な分析ができるのではないだろうか。

第二に、為政者は敵を作る前に、情報を公開することが重要である。情報を公開することで、その意見が社会にどう受け取られるかが見え、良し悪しの判断基準となるからだ。どうしてもグループで長く活動していると、その中だけの「当たり前」が形成されていく。しかし、それが社会一般の価値観とは大きくずれてしまうこともあり得る。その結果、井の中の蛙のようになり、誤った方向へと突き進んでしまうのである。ただし、情報公開が重要である一方で、内容の整理や説明体制が不十分なまま発信すると、混乱や誤解、ひいては炎上を引き起こす可能性もある。このように、情報公開には大きなメリットがあるものの、慎重な対応が必要なのだ。実際、徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いにおいて、石田三成を「謀反人」と位置づけ、全国の大名に書状を送ることで自身の正当性を訴えた。さらに、「内府ちがいの条々」という文書を公表し、自らの行動が豊臣家への忠誠に基づいたものであると説明して味方を増やした。このように、家康は情報公開と宣伝戦を戦略的に用いることで、実際に戦う前から有利な状況を築き、実質一日での勝利を収め、天下統一への足がかりを得たのである。このことからも分かるように、戦略的に情報を公開し、社会の反応を確認することの重要性は非常に高いのではないだろうか。

 確かに、人として逃げてしまう気持ちはある。しかし、「右から来た現実を、左へ責任転嫁しても前には進まない。」というように、自分の成長や内部に敵を作らないためにも冷静に物事を受け止めることが大切なのだ。