言葉とは
   小6 あおなな(aonana)  2025年5月2日

 花びらやからまつの葉が自分の重みだけで枝を離れ地面に達するまでのあいだの状態をぴたり表す言葉がないことに気がついた。自然はついに言語の及びえないものなのであろうか。花便りのいろいろの言葉を作り出し、育ててきた日本語だから、私のまだ知らないところに、あの美しさを表す言葉があるかもしれない。もし日本語にそれがなければ、それは日本語の語彙の貧弱を意味するのかもしれない。



 最近、国語の時間に春の息吹という単元で、春の季語を使って、短歌や俳句を書こうとなった。私は俳句や短歌を作るのが、とても嫌いだ。だから、国語の時間で短歌や俳句を書こうとなったら、いつも何書こうや、どう表そうなど、とても焦ってしまう。今回も同じく、何書こうと迷って外を見たら、うぐいすの鳴き声がした。いい声だなと思ったのと同時に、桜の花びらが雪のように、ひらひらまっていた。私は、ハッと息を飲み込むほど綺麗な景色で、しばらくその美しい景色を見ていた。けれど、風が止むとすぐに、桜の花は落ちてこなくなり、まるで流れ星のように、一瞬で特別なものを見た気がした。そのあと、友達にも見せたいと思い、風が吹くのを待っていたら、鳥の鳴き声が聞こえた。うぐいすだと喜んでいたら、なんと、友達が一番嫌いなカラスだった。そしたら友達が、「あっ、カラスだ」と逃げるように、走り去ってしまった。私は、とても残念だったけど、自分の目にあの綺麗な景色を焼き付けて、綺麗な景色をしっかり覚えていたいと思った。



 もし私が、作者だったら桜のちる様子は、まるで、春の別れを言うように、ひらひらと静かにちっていく様子と言うだろう。私の中での桜が散ると言うイメージは、少し悲しげなイメージがある。だから私は、毎回桜がちるたびに、「春も、もうそろそろ終わりか」や「⚪︎⚪︎さん、いなくなってしまったなあ」など、どこか寂しい気持ちになる。

 姉は、スペインに向かう飛行機の時、朝日が丁度上る頃窓を開けると、朝日に当たってキラキラ光って、まるで宝石のじゅうたんが一面に敷いてあるみたいに、キラキラしていて、とても美しい景色を見たそうだ。姉は、その景色が本当に綺麗で、まだその頃は、眠りから覚めた直後だったが、すぐに目は覚めたそうだ。私がその話を聞いて、写真も撮っていないなら、私を起こしてくれればよかったのに、というと、姉は、「翠美はぐっすり眠っていたし、一人で景色見た方がお得感あるから、起こさなかったよ」とニヤリと笑ったから、私は自分も見たかったけど、私も、もし自分が姉の立場だったら、きっと誰も起こさなかったかもと思ってしまった。



 「百聞は一見に如かず」ということわざがあるように、人間にとって言葉とは、全てを伝えることができるものではない。だからこそ、伝えようとする思いから、新たな表現が生まれてくるのだと思う。だからこれからも、自分の気持ちをうまく表現できるように、いろいろな言葉を覚えていきたい。