言葉の森
   小6 あおやゆ(aoyayu)  2025年5月2日

昔からある「花使り」のほうが、はるかに風情に富むのである。「つぼみふくらむ」

らほら咲き」「八分咲き」「散り初め」「落花盛ん」「散り果て」。花便りの言葉も、微小感覚を表し分けて、まさ風情に富んでいる。ところが、散り初めのころのある日、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面に達するあいだの状態を、ぴたりと表す言葉がないのに気がついた。花便りの様々な言葉を作り出し、育てて日本語だから、私のまだ知らないところに、あの美しさを表す言葉があるかもしれない。もし日本語にそれがないならば、それは日本語の語彙の貧弱を意味すると、二十年前と同じことを考えさせられた。日本語になくてはならない言葉の様に思えるのだが。言葉の世界は奥深くて、まだまだ知らない言葉があることに気付いた。

私の家の庭には紅葉が植えてある。今年には10メートルを優に超える様な木で紅葉と新緑、どちらも毎年魅せてくれる。若々しく少し柔らかい色合いの新緑から夏が深まり緑で覆われる季節、そして紅葉へと移り変わってゆく。紅葉の葉っぱが落ちていく様子はなんとも言えない優美さがある。この葉が落ちていく様子をどの様に表現すれば良いのだろうか。私も筆者と同じ様に学校の宿題である日記に書こうと思ったが結局のところ「すごい」「美しい」などを並べただけの味気ない日記になってしまった。美しいだけではないし、綺麗と言っても物足りない。私の知っている言葉の中では「これだ!」と言うものは見つからずとうとう紅葉の季節を終えて冬になってしまった。

私は向田邦子さんや三浦綾子さんの文章だと繊細な日本語を使っていて、読者も言葉の幅がより広くなりしかもその場の情景が細かく映し出されている様に感じる。特に、向田邦子さんは女性らしい表現や自分の感情を率直に伝える素直な言葉がとても好きだ。例えば「美しい」だけで止めないでわざと「言葉が見つからないほど美しかった」と素直に言う。難しい言葉を使いすぎるよりはよっぽどわかりやすい表現で個人的には素晴らしいと思う。

言葉とは人間にとって人に自分の感情を伝えるものだ。私はただ「すごい」や「とても」ばかり使うのではなく奥深い日本語を使いこなせる日本人になりたい思う。繊細で美しく言葉を選ぶことができる日本語は言葉が見つからないことは悪いことではなく、むしろその言葉の森の奥深さを知ることができる余地があると言うことだろう。言葉の森は深い森だ。