香乃さん、今回の小論文では「物の価値とお金の関係性」について独自の視点から深く考察していますね。まず、木の価値と商品としての価値の対比を通じて、物事の多面性を理解している点が非常に印象的です。また、個人的な経験を取り入れた水筒のエピソードは、読者に対して感情移入を促しやすく、論点の説得力を増しています。
さらに、名言を引用して論点を補強している部分も見逃せません。「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という言葉を使い、物の価値を評価する際の相対性を効果的に表現しています。これにより、単なる意見の提示に留まらず、哲学的な問いへとステップアップしている点が評価できます。
全体を通して、香乃さんの作文は読者に多角的な視点から物の価値を考える機会を提供しており、中学1年生としては非常に高い理解力と表現力が垣間見えます。引き続き、自分の経験や感じたことを大切にしながら、さまざまな角度から物事を見る習慣を育てていってください。
###項目評価
-名言がよく書けています。
-反対意見への理解がよく書けています。
内容 構成 題材 表現 主題 表記
字数/基準字数:1196字/600字
思考点:95点
知識点:73点
表現点:76点
総合点:83点
(新しい森リンで仮の点数を出しています)
■思考語彙 27種 32個 (種類率84%) 95点
確か,、思う,。しかし,。たぶん,。例えば,あるから,くらいから,しまうかも,するから,すると,そう考える,たので,だろう,て考える,で考える,と場合,と思う,ないため,なければ,に思える,は必ずしも,入れるため,場合によって,変わるため,考えると,考えるべき,見るべき,
■知識語彙 52種 92個 (種類率57%) 73点
一定,一緒,一致,世界,今日,仕事,体育,価値,優先,処分,出方,労働,区別,名言,商品,問題,国産,大事,大切,天然,学校,実現,小学,小学校,工場,年生,年間,建築,愛着,換算,文化,時間,木目,本当,本来,次元,水筒,水色,理由,紫色,経験,結論,職人,自体,荷物,製材,輸入,返答,過程,部分,関係,雰囲気,
■表現語彙 106種 187個 (種類率57%) 76点
確か,お湯,お金,かわいそう,こと,さ,そのもの,それ,たくさん,ただ,とき,と場合,どこ,ないため,なに,なん,ほう,もの,よう,コンピューター,ヒノキ,プラスチック,一,一定,一緒,一致,世界,中,二つ,今,今日,仕事,体育,何,価値,優先,入れるため,六,処分,出方,刃,労働,勘,区別,名言,商品,問題,国産,変わるため,大事,大切,天然,学校,実現,家,小学,小学校,山,工場,年生,年間,底,度,建築,思い出,性,愛着,手,換算,文化,時,時間,木,木目,本当,本来,材,板,森,次元,母,気持ち,水,水筒,水色,物,理由,私,紫色,細切れ,経験,結論,職人,腕,自体,荷物,製材,赤,輸入,返答,過程,違い,部分,間,関係,雰囲気,
■経験語彙 43種 60個 (種類率72%) 83点
、思う,あてる,あらわれる,しまう,しれる,せる,そう考える,て考える,できる,で考える,とく,と思う,に思える,ひく,ぶつける,へこむ,もつ,られる,れる,使う,使える,入れる,出す,加わる,売る,変わる,感じる,持つ,捨てる,支える,残す,生かす,異なる,続ける,聞く,落とす,解ける,訪ねる,買い替える,返る,過ごす,違う,重なり合う,
■総合点 83点
■均衡点 2点
物の価値とお金の関係性
中1 あかえか(akaeka)
2025年5月1日
物の価値とお金の関係性 あかえか
木が本来持っている価値を生かすことと、商品として木を高く売ることは必ずしも一致しない。今日では山の木が建築物に変わるまでの間には、木自体が持っている価値を生かすか、商品としての木の価値を優先するかという次元の異なる二つの過程が重なり合っているのだろう。そしてそれは、森の違いとなってあらわれ、製材や建築の過程では労働の違いとなってくる。例えば、製材工場を訪ねても国産材をひく工場と輸入材をひく工場とでは、雰囲気がずいぶん違う。国産材は、どこに刃をあてるかで木目の出方などが変わるため職人の経験や勘が工場を支えている。ところが、輸入材は一定の木目のものや、コンピューター製材が多い。国産材の工場は今も職人の世界である。木の文化は、天然のヒノキが細切れの板にされるのをかわいそうだと感じる気持ちに支えられてきた。そして、その気持ちを仕事で実現させる職人の腕とあったのだ。
物の価値は、お金に換算しないで考えたほうが良いと思う。
そう考える理由は、物を大切に思えたり、長い間大事に使えたりするからだ。私には、小学一年生くらいから小学六年生まで使い続けた赤紫色の水筒がある。だが、その水水筒は、もしかしたらプラスチックが解けてきてしまうかもしれないため、新しい、水色の水筒に買い替えた。しかし私は、六年間ほど使い続けてきたその水筒には愛着があり、、なにがなんでも捨てたくなかったので、母に、
「この水筒、処分しないで、残しといてもいい。」
と聞いてみた。すると、思っていたよりもあっさりと、
「いいよ。」
という返答が返ってきた。そのようなことがあり、その赤紫色の水筒は、家で、お湯を入れるためのものになった。たぶん、この過程の中で、長い間使い続けてきた水筒を捨てたくないと思った理由は、小学校の六年間を一緒に過ごしたり、その思い出がたくさんあるからだと思う。例えば、学校の体育の時間に水筒をもっていかなければならなかったとき、ただでさえ荷物が多かったのに、さらに持ち手のない水筒が加わったことでさらに持ちにくさが大きくなったというものや、何度も何度も落としたりぶつけたりしてしまって、水筒の底の部分がへこんでいってしまったというものだ。
確かに、物の価値をお金に換算して考えると、速く問題の結論を出すことができる。しかし、「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言があるように、物の価値をお金に換算して考えるべき時と、そのものの本当の価値を見るべき時とを区別することが大切なのだ。