オノマトペは、言葉以上の意味がある
中3 のんの(aohita)
2025年5月1日
外国を旅すると日本の湿潤な気候と水の豊かさを実感し、日本人が水の音に深い親しみを持っている。日本語には水に関する多様な擬音語・擬態語(オノマトペ)があり、それは日本人の感性や文化に根ざしているが、抽象性に乏しいため異文化には伝わりにくい。オノマトペは感覚を音で直接伝えるものであり、言語と音楽の接点として、人間が言葉で表現しきれない感覚を補う重要な役割を果たしている。僕は、日常の中でオノマトペを意識して使い、日本語がもつ繊細な感覚を大切にして生きたい。
まず第一に、自然と触れ合うことが重要である。僕は、毎年、夏と冬に山梨県や新潟県、長野県へ行く。そこでは、都会ではなかなか味わえない自然の音や風景に囲まれながら、心と体をリフレッシュすることができる。たとえば、朝早く起きて山の中を歩いていると、「さらさら」と小川が流れる音が静かな森に響き、「チチチ」と小鳥たちがさえずる声が空気をやさしく包み込む。また、風が「ひゅう」と木の間を抜けるとき、僕は自然と一体になったような感覚を覚える。こうした自然の音は、ただ耳で聞くだけでなく、体全体で感じるものであり、オノマトペによって初めて他人にその感動を共有することができる。あるとき、山道で霧が立ちこめ、「しん」とした空気の中に身を置いた経験がある。その静けさを友達に話すとき、「しん」というたった一語のオノマトペが、その場の空気や緊張感までも伝えてくれることに驚いた。自然の中で感じた音や空気の変化は、オノマトペを通して、僕の中でより鮮明な記憶として残り、それが言葉として定着していく。このように、自然と触れ合うことによって、僕はオノマトペの力を体感し、日本語が持つ繊細な表現力の豊かさに気づかされるのだ。
二つ目は、五感を大事にすることである。僕は学校の国語の授業で、オノマトペや比喩について学んだことがある。特に印象に残っているのは、自分が見たり聞いたりしたものをできるだけ具体的な言葉で表現する練習だった。そのときに先生が「オノマトペを使うと、目に見えないものまで表現できるよ」と言っていたのを覚えている。たとえば、雨の降り方にも「ぽつぽつ」「ざあざあ」「しとしと」などさまざまな表現があり、それぞれが異なる情景や気持ちを引き出してくれる。「ぽつぽつ」と聞けば、夕方にひっそりと降り始めた雨が目に浮かび、「ざあざあ」なら急な土砂降りと、それに驚く人々の様子が思い浮かぶ。僕自身も、文章を書くときに「ドキドキ」「わくわく」「もやもや」といった感情のオノマトペを使うことで、自分の内面をより正確に伝えられると感じている。また、美術の授業で絵を描くときも、たとえば「ギザギザ」や「ぬるぬる」などの言葉をヒントにして形や質感を表現することがある。つまり、五感を意識して日常を観察し、それを言葉にする力を養うことで、僕の中にある感覚がより豊かになり、それが表現の幅を広げてくれるのだ。オノマトペは単なる装飾的な言葉ではなく、感覚を言語化するための橋渡しのような存在であり、五感を活かすことで初めてその価値が発揮されると僕は思う。
確かに、オノマトペを使うには五感を研ぎ澄ます必要があるが、吉本ばななが言った名言『言葉にできないものこそ、大切にしなければならない』があるように、自分の中にある言葉では言い表せない感覚を、音として相手に伝えられる。これからも僕は、自然の中で感じたことをオノマトペで表現しながら、日本語の持つ感性の豊かさを大切にしていきたい。