生物界の中で人という種を(感)
   中1 あかそよ(akasoyo)  2025年5月2日

 生物界の中で人という種を特徴づけると優れた学習能力がほぼ一生にわたり維持されるという事だ。例えばクジラやライオンなどの大型哺乳類は水中で生活しやすいように体が変化したり、筋肉が発達し鋭い爪などを備えているためある条件下では反映しうる。しかし、サルの仲間においてはこういった身体的特徴がない。生まれつきの行動の仕組みが比較的少なく雑食であるため様々な環境に適応しうる。サルの仲間では経験からどれだけ学ぶかが大事となってくる。このような特徴は人はより一層濃く見られる。人はほかのチンパンジーなどの類人猿と比べても生まれつきの行動の仕組みが少ない。このため人間はいろいろなことを学習しないといけないのである。



 第一の理由は生きていくために必要だからである。まず、学習をしなければ歩き方を知らないから歩くことができない。食べ方を知らないから食べることができないという事になってしまう。まず歩くことができなければどこにも移動することができずにその場所にいとどまることになる。そうするとやりたいと思う事も他の事も何もできなくなってしまう。また、何も食べることができないとおなかがすいて生きることができなくなってしまうかもしれない。生きていくために絶対に必要な内容の学習をすることによって弱い人類が生き残ることができるのである。また、それを自分だけで行うのではなく他人との会話でも生きていくために必要なものを教えてもらう事も含まれる。



 第2の理由は、学ばなければ楽しいことや好きなことができないからだ。例えば植物が二酸化炭素を吸収して酸素に変換して放出するというような植物のいいところは学習することによってわかることだ。また、マリモが球状化するのは阿寒湖の上を通る風向きやマリモの生息できる水深の場所が多くあるなどの条件がたくさん重なり合っているからである。だが、今これが森林の伐採などにより養分がたくさん流れ出てマリモの光合成の妨げになるシオグサなどの水草が大繁殖し絶滅の危機に至ってしまっている。これにしてもやはり、学習をしたからこそ知ることが出来たことだ。このようにいろいろと学習することによって自分の好きなことや楽しいこと、だめなことなどのことを知るために学習が必要なのである。



 確かに今の学習のやり方は暗記をするだけであとは何もしなくてもいいというようになってしまっているので、ズレているような気もするが、やはり、人生を楽しむために学習する事は必要である。辞書のような人間になることではなく、辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的であるという言葉もあるようにいろいろなことを無理やり暗記することが学習ではなく、その知識をどう使うかが一番大事なところとなってくる。知識を詰め込んだだけでそれを日常生活の何にも役立てることが出来なかったらそれはただ単に意味のないことをやったというだけである。そこで知ったことを自分がやりたいことに役立てないといけない。自分のために学習が必要なのである。