クラシック音楽をじっくりと傾聴していた時代へ
   高1 あえもも(aemomo)  2025年4月3日

 現代社会は、あらゆるものがカジュアルになり、面倒な手続きが失われていく時代だ。そのなかで、真面目で傾聴を迫るクラシック音楽は、コマーシャルによっておしゃれなファッションになっている。しかしそこで、「1曲を有機的統一体として聴き、構造の脈絡を理解するべき」であるような音楽体験の理念が、受け継がれているかどうかは、疑わしい。クラシック音楽の真髄とは、1曲を聴きとおすことで「作品」という包括的で意味連関が体験できることにある、と了解されている。曲の細部も曲全体の世界にあることで大いなる意味を持つ。それを切り刻んで差し出すコマーシャルは、感銘を誘っても、それにつれて人々が容易にクラシック音楽の世界にいざなわれるとは考えないほうが良い。つまり、コマーシャル音楽が効果を上げたのは、異端の聴き方が音楽を構造的に聴かない人たちの心の間隙をついたからである。このことから私は、クラシック音楽をじっくりと傾聴していた時代を見直すべきだ、と考える。

 その方法としては第1に、物事の本質をとらえることだ。例えば、今もなお世界中で愛されている「第九」。だが、多くの人が知るのは、第四楽章のサビの部分だけに過ぎないのではないか。私も、以前まではその1人だった。私は、昨年、市民が集まって第九の第四楽章を合唱する企画があることを知り、初めて参加した。数百人の参加者のうち約8割が大人のなかでの練習だった。「第九」のメロディーを知った気になっていた私は、まず、第四楽章だけで25分、合唱部分だけでも15分もあることとドイツ語の難しさに驚いた。これほど長い曲は歌ったことがないうえ、ドイツ語をリズムに合わせて歌わなければならないのだ。最初は、無事に歌えるのか自信がなかったが、毎週夜の練習に通った。ついに本番、参加者は舞台袖で、出番を今か今かと待っていた。しかし、いっこうに呼ばれず、舞台上では、しっとりとした音楽がオーケストラによって演奏されている。私の後輩は寝てしまい、私も、手持無沙汰だった。舞台袖で体感的に約60分後やっと舞台上に上がり、気持ちよく歌い上げた。後日、私の出番前の曲もすべて第九だったことを知った。あまりに雰囲気の異なる曲調だったため信用し難かったが、冷静に考えて見ると、確かに、私が歌ったのは第四楽章のため、第一から三楽章までが無いと名目上成り立たない。私は、せっかく練習したにも関わらず、舞台袖に流れてきた音楽に聴く耳も持たなかったことを後悔した。第九という歌の本質は第一から第四楽章までをすべて聴いてこそ、その本質を知れたと言えるのだ。本質を捉えなければ、作曲者のそこに込めた思いを解釈することはできない。クラシック音楽をじっくりと傾聴していた時代を見直すためには、まず物事の本質を理解しながら生活しなければならない。

 第2の方法としては、じっくりと物事を考える時間を設けることだ。テレビでバラエティー番組を視聴していると、よくクイズコーナーの場面を見る。VTRからスタジオのゲストにいきなり問題が飛んでくるという形式だ。問題には解答時間が設定されており、解答者は短すぎる解答時間にあたふたしながら、正答又は視聴者が引かれるような面白い解答をひねり出している。このような時、視聴者の私は、クイズに答えることよりも、制限時間の表示欄や、魅力ある解答をしようと焦っているゲストの様子が気になって、とてもクイズに集中できない。解答者も私も、面白いとは言えない緊張感にいざなわれてしまっている。そのような中、とある朝の情報番組で、アナウンサー6人が脳トレ問題を解くというコーナーを実施していた。これには絶対的な制限時間がないようで、その6人全員が自力で解答するまで正答が表示されない。勿論、生番組だったため、私は、制限時間が当然あると思い、最初から解く気さえなかった。しかし、なかなか正答を出せないアナウンサーが懸命にゆっくり答えを考えているのを見て、いつの間にか私も答えを導き出していた。これほど尺を気にしない企画を見たのは人生初で、これが正規のクイズコーナーのあり方だと感じた。スタジオの解答者と視聴者が一体となって同じ物事についてじっくりと考えることができる。じっくりと考える方が、クイズにとっても喜ばしいことだ。「速さ」が四六時中良いわけではなく、じっくりと考える場も生活には生きていくうえで必要だ。

 確かに、物事の認知度を高めるためには、まず、表面だけでも知ってもらおうとする努力は大切だ。しかし、「自分の心のうちに持っていないものは、何一つ自分の財産ではない。」というように、クラシック音楽をじっくりと傾聴していた時代を見直すべきだ。物事に手を加えて、そのものの本質が見えなくなっては、本来の価値が失われてしまう。また、そういったものにしか触れない現代人は、「知ったつもり」で生きている人が多い。物事の表面だけは、利用もできない。「速さ」が重視される今こそ、時間短縮のために省略されてしまった部分に目を向けることが大切だ。これからは私も、短縮されたもので満足しない感覚を身に付けていきたい。