現代社会の便利
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私たちは今、便利なものであふれる現代社会に生きている。スマートフォンやパソコン、自動販売機など、少し考えるだけでも便利な道具がいくつも思い浮かぶ。確かに、図書館の検索モニターなどは、なくても生きてはいけるだろう。しかし、それらがあることで生活が快適になっているのも事実だ。だが一方で、大人になって旅をしてみれば、自然と共に生きる人々の暮らしに出会うことがあるのではないだろうか。南米のアマゾンには、いまだに森の中で狩猟や採集をして暮らす原住民がいるし、日本でも古くからの習慣や自然と共にある生活を続ける人たちはいる。芭蕉や西行といった俳人たちが自然での生活を愛し、そこから豊かな文化を生み出したように、自然のそばで暮らすことは、人の心に深く関わっている。



 それでも私はやはり、快適な現代の生活をありがたいと感じる。スマートフォンが1台あれば、連絡も買い物も、音楽も映像もすべてが手のひらの中で完結する。エアコンのスイッチを押せば部屋が涼しくなり、電子マネーをかざせば財布を取り出す手間も省ける。こうした技術の進歩は、人間の生活を「楽にする」ことに成功してきたのだと思う。特に、高齢者や障害のある方にとって、科学の発達は生活の質そのものを変える。私の祖母も足腰が弱くなったが、エレベーターやエスカレーターがあることで、以前のように買い物にいくことができている。便利さは、単に時間や手間を省くだけでなく、人の行動の可能性や自由を広げる力も持っているのだ。



 しかし、便利さばかりを追い求めると、人間本来の感覚が失われるのではないかという心配もある。たとえば、長野県のある地域では、あえて機械化を進めず、薪でお風呂を焚き、畑仕事で食料を得るという生活を続けている人々がいる。こうした生活を選んだ家族は、「自然と向き合うことで、時間の流れを感じられるようになった」と語っているそうだ。子どもたちは自然の中で遊び、季節ごとの風や匂いに敏感になっていく。実際、過度に便利になった社会では、スマホの使いすぎによる視力低下や集中力の低下など、子どもたちに悪影響が出ているとの報告もある。シンプルな生活には、心身をととのえる力がある。便利さと効率だけを優先する社会の中で、こうした自然と共にある暮らしの価値は、これから高まっていくのではないだろうか。



 便利で快適な現代の生活にも、シンプルで自然と共にある暮らしにも、それぞれの良さがある。しかし、一番大切なのは自分の心が何を求めているのかを見つめることなのだ。「心の充実が人生の目的である」という名言があるように、生活の形式ではなく、心の満足感を重視すべきだ。ボタンひとつで動く機械の前でも、手間をかけた畑の野菜の前でも、「生きていてよかった」と思える瞬間を持てるなら、それが本当に豊かな人生だと思う。私は、便利さに流されすぎることなく、自分の心が本当に求める生活を選んでいきたい。