華美と素朴
   中2 あえさし(aesasi)  2025年5月2日

 自分で体験する方法の第一には旅をすることだ。第二に、それよりもっと簡単な方法は、日本文化の伝統の中からそういうシンプル・ライフを実践した人を探し、その生とわが身の現在とを比較してみることだ。人は生きるためにいったい何を必要とし、何を必要としないのかこれが一番大切だ。  

便利で快適な生活をすることは良い。特に交通手段の進化によって、私たちの暮らしは大きく変化している。たとえば、私は今、塾に行くときには車で送ってもらっているが、少し前までは自転車を使っていた。自転車でも通うことはできたが、天気が悪い日や疲れているときにはとても大変だった。それが今では車で快適に移動できるようになり、時間も短縮できる。その分、家での勉強や休憩の時間を確保することができ、日々の生活がより充実したものになった。また、バスや電車などの公共交通機関も整っており、遠くの場所へも簡単に行けるようになった。昔は歩くか自転車に乗るしかなかったことを考えると、今の生活がどれほど便利でありがたいかを実感する。車やバイクなどがなかった時代には戻れそうにないと思うほどだ。この便利な生活は私たちの日常をはるかに変えているのだと思う。移動の手段が変わったことで、時間の使い方や行動の範囲も広がり、私たちの暮らしは以前よりもずっと豊かになっているのだ。

しかし、機械化されていないシンプルな生活も良い。皆はアーミッシュという人々をご存知だろうか。アーミッシュはアメリカやカナダに住むキリスト教のグループだ。自動車を使わず馬車に乗り、自給自足に近い生活を送っている。私たちには自動車もバイクもない生活は想像すら出来ない。だが、彼らはそのような生活に誇りを持ち、共同体の中で助け合いながら暮らしている。インターネットもスマートフォンも使わず、農作業や手仕事に時間をかけ、自然とともに生きている姿は、現代社会が忘れかけている大切なものを思い出させてくれる。便利な道具に囲まれ、忙しく過ごす私たちにとって、不便を受け入れたアーミッシュの暮らしは驚きだ。しかしその分、人とのつながりや自然の恵みを深く感じることができるのだろう。私たちも時には立ち止まり、便利さの裏にある大切な価値を考えなければならないとふと気づかされた。

確かに機会かされた便利で快適な生活や素朴でシンプルな生活にもそれぞれの良さがある。しかしいちばん大切なことは「充実した人生をおくる」ということだ。充実した人生を送りたいか、ゆったりとした当たり前の生活を送りたいかは人によって違う。どう行きたいかももちろん大切だ。しかし私は1度きりの人生はやれることをなんでも挑戦するようなそんな充実した人生を送りたいと考えた。