ヒトに学習が必要な理由
   中1 あかえか(akaeka)  2025年5月2日

 人に学習が必要な理由



あかえか



 生物界でヒトを特徴づけると、学習能力が一生維持されることがあげられる。サルの仲間は身体上の特徴がなく、行動の仕組みが少ない。さらに雑食性でもあるため、様々な環境に適応する。つまり、サルの仲間は経験に基づき外界にの知識を身に付けることが重要だ。そうすることでどこが安全か、どうすれば食物が手に入るかなどを的確に判断できることが、生存のため不可欠だ。だがこの事情はヒトにおいて顕著に認められ、個体が自らの直接の経験に基づいて知識を集積するだけでなく、他の個体の経験や言語などを媒介とすることで利用できる。つまり、学習が社会的な性格を持つに至っている。ヒトはこの情報の体系を持つことで生き延び、また現在の社会でもこうすることで有能に行動するのだ。



 人間にとって学習は大切だ。



 そう考える理由は第一に、人は学習しなければそもそも生きることができないからだ。例えば、のどが渇いた時やおなかがすいたときなどに、「何を食べれば生きていくことができるか」や、「飲んだり食べたりしてはいけないものは何か」などの最低限必要な知識を経験の中から見出したり、ほかの人の経験から探り出したりしなければ、自分の身体に害のあるものを体内に入れてしまうかもしれないからだ。また、体内のことだけでなく、体外のことにつの知識もなければ生きていくことができない。例えば、冬の寒い時期には厚着をしてできるだけ体温を逃がさないようにしないと風邪をひいてしまう、夏の暑い日には体の熱が外に行きやすい恰好をしないと体温が調節できなくなってしまうなどの知識だ。



 人間にとって学習が必要だと考える第二の理由は、学習をすることで多くのことが身に付き、自分の役に立つからだ。私は今年の正月に、おもちを膨らませようとしていた。しかし、何分か放っておくと、餅の上の部分が焦げて灰になってしまっていた。そして、灰には燃えるという性質があるため、餅の灰になった部分が燃えていた。しかし、小学校の理科の授業で学習した「火は酸素がなくなったり、酸素に触れなくなったりすると、燃えなくなる。」ということを思い出し、燃えていた餅にガラスの皿をかぶせ、その火を消すことができた。



 確かに、学習だけでなく遊びも必要である。しかし、「多すぎる休憩は少なすぎる休憩と同じように疲れさせる」という名言があるように、遊びだけではなく、生きていくために必要な学習はしなくてはならない。