幸せな生活のかたち
中2 あえさみ(aesami)
2025年5月2日
人間は生きていく上でなんと僅かの物で足りるか、ということを私達は先住民などの素朴な暮らしから読み取ることができる。現代の浪費文明は反自然な人工的なものだ。しかし世界には効率的生産を求め続ける生活よりも上等な人間らしく、自然と調和していることに重きを置く地域がある。地球上にはまだ浪費文明に侵されず昔ながらの素朴な生活を営んでいるところがいくつかある。私たちは、物質文明社会のなかであたうかぎりその恩恵を拒否するひねくれ者の暮らしを営むに至ったが、それで満足しているのである。
便利な生活を私たちは求める。「便利」、「快適」、「楽」このような生活を望む人は多くいる。私たちの周りは今や多くの機械にかこまれている。あらゆる場面で機会が活躍し、支えてくれる。今の時代スマホ一つあればなんでもと言っていいほど、たくさんのことができる。テレビをつけ、スマホを手に持ち、夏はクーラーのついた部屋、冬は暖房がついている暖かい部屋にいる。科学技術の発展は私たちを、楽にしてくれる。つまり、技術によって時間や労力が節約さ入れているということだ。私が旅行に行ったとき迷子になってしまった。さいわいスマートフォンを持っていて、家族に連絡が出来、地図アプリで集合場所につくことが出来た。便利なものは私たちに、時間の余裕以外に精神的な余裕も与えてくれる。たとえば、スマートフォンがあるだけで私たちは安心する。どんどん機械化されていく中、私たちがどのように使用するかが鍵になるのだと感じている。
しかし、機械化されていない、シンプルなせいかつもよい。たとえば、家族でキャンプに行ったときのことだ。そこには電気もWi-Fiもなく、スマホの電源さえ切った。火をおこしてご飯を炊き、懐中電灯の近くで炎をみて、虫の音を聞いて眠りにつく。最初は不便に感じたが、次第に心が落ち着き、心地の良い空間になった。目の前に広がる壮大な自然を前に家族との会話が楽しかったことを覚えている。日常では感じられない小さな幸せを感じられた。また、手で何かを作る時間も、機械化された生活では得られない良さがある。手紙を書く、野菜を育てる、料理を一から作るといった体験には、時間がかかる分、自分でやり遂げたという達成感がある。もちろん、すべてを昔のような生活に戻すのは現実的ではないが、時には機械などに頼り過ぎず、自然のリズムを自分の生活に取り入れると心が豊かになることもあるのではないか。
確かに機械化された便利で不便のない生活にも気持ちが豊かになれるような素朴でシンプルなものにもそれぞれ良さがある。しかし、最も大切なことは、自分にとって何が幸せなのか、自分が後悔しない選択を選び取る力だ。正しい選択や生活などは存在しないと思う。だからこそ、便利な生活と素朴でシンプルな生活のバランスが大切なのだと思う。これからも、技術と心の豊かさの両方を大切にしていきたい。私たちにとって幸せな生活とはどんなものだと言えるのでしょうか。