日本語の難しさと魅力
   小6 あえさた(aesata)  2025年5月3日

 日本語は、いままで日本民族によってしか使われたことのない内輪の言語、つまり部族言語だ。どこの言語も初めは部族言語なのだが、それが外国に広まりだすと、外の視点が入ってきて言語の刈りこみが行われているわけだ。私たちの母語である日本語は、いま徐々に外の視点を加味して整理される芽生えが出てきている。英語が四百年の間に全く変わってしまったのと同じで、日本語が国際普及するにしたがって、外の人の影響力が国内の日本語にもおよんでくる。

 僕は、日本語はとても難しい言語だと思う。まず第一の理由は、読み方が複雑なところだ。たとえば、僕は数年前、「今日」という漢字を「こんにち」と読んでしまい、「きょうと読むんだよ」と言われたことがある。そのとき、読み方ひとつで印象まで変わってしまうんだと実感した。また、日本語には同じ言葉でも場面や相手によって意味や使い方が変わるものが多く、それも難しさのひとつだと思う。こうした特徴は、外国人にとってはもちろん、日本人にとっても時に分かりにくい。もともと日本語は、日本民族の中だけで使われてきた「部族言語」だった。しかし最近では、少しずつ外国の人々にも使われるようになり、外からの視点が入ってきている。これから日本語が国際的に広まる中で、少しずつ整理され、より外国人にも分かりやすくなっていくだろう。それでも、日本ならではの繊細な表現や、独特の言い回しは日本語の魅力だ。国際化が進んでも、そうした良さは大切にしていきたいと僕は思う。

 第二の理由は同音異義語が多いことだと思う。例えば「はし」と言えば、「橋」「端」「箸」など全く違う意味の言葉がいくつもある。文脈によって判断するしかないが、聞くだけでは意味が分からず、混乱することもある。文字として書けば違いがわかるけれど、会話の中では聞き手の理解力に頼るしかないので、外国人にとってはとても難しい部分だと思う。

 第三の理由は言葉の意味や使い方が地域の人によって異なるということだ。これは僕の母が言っていたのだが「直す」という言葉を「片づける」という意味でも使うのだという。例えば「机の上を直しておいて」と言われて、僕は最初、「何か壊れたものを修理するのかな」と思ったが、実際は「元の場所に片づける」という意味だった。こうした地域ごとの言葉の違いや独特の使い方も、日本語を難しくしている原因だと思う。

 人間にとって言葉とは人と人をつなぐ大切なものだ。しかしその使い方はとても難しい。だから僕は場面によって、相手の気持ちや状況をよく考えて、言葉を選ぶように心がけたい。郷に入っては郷に従えということわざがあるように、どんな相手や環境でも、その場にふさわしい言葉遣いや態度を大切にしていきたい。