全てはお金!はNO
   中1 あおなち(aonati)  2025年5月1日

  ヒノキをいちばん高く売るにはどうするのがよいのかが村長の問いだった。玄関の表札にして売るのが有利だという意見があった。すると村長はきわめて不愉快そうな顔をした。樹齢二百年を超えた大木が、柱になった後も堂々と建物を支え続け生き続ける姿を思い描いていた村長には、それが細切れにされることなど、容認できることではなかったのである。商品価値を高めることが、木を侮辱することであってはならないと思った。

 山の木を単なる商品にしてしまわないためには、職人的な腕が生きていなければいけない。確かに、山の木は林業家から製材業者へ、工務店から消費者へと、商品として流れていく。ところが、この流れの中に、美しく、大きく森を育てていこうとする村人の腕や、製材職人の腕、木の特性を生かしていこうとする大工の腕などが健在である間は、木と人間は一体化して、木の文化をも作りつづけることができる。木の文化は、天然のヒノキが細切れの板にされるのをかわいそうだと感じる、あの村長の気持ちに支えられてきた。そして、その気持ちを仕事の中で実現させる職人たちの腕とともにあったのである。



 物の価値をお金に換算せずに考えるほうが良いと思う。



理由一つ目。キーホルダーの例。全く同じキーホルダーをいくつも製造しお金儲けのために販売しているのと、愛を込めて一つ一つ手作りしたキーホルダーはどちらが魅力的か。保育園の園長先生が卒園式の日にプレゼントしてくれたキーホルダーがある。ある樹木の実で、磨けば磨くほどよくひかり、とても丈夫な実で作られた物だ。一人一人の未来を思い描きながら、一つ一つ磨いて手作りしてくれたそうだ。そういうものにこそ価値があると感じる。



理由2つ目。金額が高い、低いに関係なくその商品に心がこもっていることが大事だから。母が老人ホームのバザーに行った時、とても細かい刺繍の入った巾着を見つけたそうだ。ひと針ひと針、慎重に縫われているのが伝わってきて本当に一生懸命作られたものだと感じたそうだ。その作者の名前を見ると、他にもエプロンを出品していることが分かった。もう、その人の仕事の丁寧さを十分に感じていたので迷うことなく購入した。作者の丁寧な仕事に心を打たれたのであって値段なんて関係なかった。



確かに、高い物を持っていれば自慢できる。しかし、僕は商品に込められた想いこそ自慢すべきだと感じる。だから、商品にどれだけの想いがこもっているかによって買うか買わないか決めても良いと思う。