話し上手の人がいます(感)
   中1 あかそよ(akasoyo)  2025年5月3日

  話し上手の人のことはおしゃべりとは言わない。おしゃべりな人は話の間に間を入れないのに対し話し上手な人はうまく間を取り入れている。おしゃべりな人のはなしは間がないため、話し終わった後にはあれ、何を聞いていたんだっけトなってしまう事にもなりかねない。余韻や余情、ふくみなどは間の生かし方にかかわっているように思われる。適度に間をあけると良い余韻や余情、ふくみにつなげることができるようになる。荻巣孝徳のパリの風景画で忘れられない油彩がある。号数ははっきりとわからないが、畳三分の一畳くらいのものだ。それは、空も建物も道も薄暗いパリの街角にただ一点、遠景の塔らしきものに朱が入っていてそこに向かって画面が収れんされていくような絵画だ。そのため間を作った方がいいと思う。



 第一の理由は勉強をするときに間を開けた方が内容が頭に入ってきやすいからだ。僕は小学校の期末テストの前に社会の勉強を休憩なしに詰め込んだことがあった。この時は車の作り方のような内容でプレスをして車を組み立てて塗装をするというような内容だった。だが、これを一気に詰め込んでしまったせいで車の作る順番がテストの途中でこんがらがってしまって問題が分からなくなってしまった。だから次回からは休憩もはさみながらゆっくりテスト勉強をしようと思った。次の期末テストでそれを実現してみた。そうするとなぜだかわからないが内容が苦労せずともだんだん入ってきた。休憩をとることによってそれまでにやった内容を覚える時間ができたためかもしれない。



 第二の理由は間を開けた方が相手に言いたいことが伝わるからだ。僕は小学6年生の時に集会委員会に入っていた。一年生を迎える会というのが4月29日にあって集会委員会が出し物をした。その中で僕はマリモクイズをした。この時、間を開けて話すことを心掛けた。そうすると会場にいた多くの1から6年生、保護者、先生に伝わった。その証拠に一年生を迎える会が終わった後にも、たまにマリモくんと声をかけられることがあった。これは、しっかりと間を開けて話したからより多くの人につたわったのであろう。間を開けることにより人に伝えたいことが正確に伝わったのかもしれない。だが、そのせいで少しだけだが困った事もあった。それは、マリモクイズで顔が知れてしまったせいで中央線のグリーン車に乗れなくなったことだ。この時、まだ中央線のグリーン車はお試し期間で無料で乗ることが出来たのだが学校内のルールではなぜだかわからないがグリーン車に乗ってはいけないとなっていた。だから誰かに見られてしまうと乗ったことがすぐばれてしまうので乗れなくなってしまったのだ。



 確かに、相手が忘れるくらい間を開けてしまってはいけないが、間を適度に取ることで相手により伝えたいことを的確に伝えることができる。時間をつくる第一の方法は、急ぐことではなく、どこに時間を使うか考えることであるという言葉もあるように、どのようにやりたいこと、伝えたいことと間の配分を考えるのが時間を作るうえでも意思を的確に伝えるうえでも必要なことである。やりたいことや伝えたいことをずっと休憩もなしにやっていては逆に非効率だ。たくさんやった方がいいのではないかと思う時もあるが、実は休憩をとりながらやるのが一番効率的なのである。適度な休憩や間を置くことによっておしゃべりではなく話し上手になれるのではないだろうか。