小6 よしたか(yositaka)  2025年5月3日

 国語として日本人が自分の言語を見るときは、完全に内側の視点で見ている。ころが、外国人は、ことばのきまりも発音の仕方も知らないで日本語を習うのですから、外の視点しか持っていない。多くの西洋の言語は、ヴェルサイユ宮殿の庭木のように、整然と刈りこまれ、人工的な手入れがされている。日本は、これからどうやって日本語を刈りこんでいったら、国際普及の日本語になるかということを考えなければならない。



「ん?」



この言葉は一体何だろう。



僕はたまに海外のYouTuberを見るのだが、その人のしゃべっている言語を見てたびたび驚いている。何やら象の歯磨き粉やらの実験をする(映像で分かった)ということは分かったのだが、それ以降は全く分からず、ひたすら早口言葉を言っているような感覚に陥った。



本当に全く分からない。英語の字幕を付ければ希望の光が見えると思ったが、これまた全く分からない。今思えばそのYouTuberは結構英語になまりがあり、聞き取りづらかったのだろう。僕は動画を最後まで見る主義なので、早口言葉をシャワーのように浴びせられる拷問とかした。しかも40分だ。見終わったとき「視聴を辞めても別に何の問題もなかったのでは?」と我に返った。別にそんな主義捨て去っても良かったのになぜ最後まで見たのだろう。失われた40分の重みは計り知れない。



それは外国の人も一緒で、日本語を勉強している友達がお笑いを見たらしいのだが、英語で直訳するとちょっと違ってくる「なんでやねん」などがやはり聞き取るのに困難らしいのだ。同じ体験をした同士、もっと勉強しようと決意したと思う。



そういえば、僕自身が以前、外国人観光客に道を聞かれたとき、単語をポンポン言えば通じると思って「Station」「Straight」「Right!」などと話しかけてみた。ところが相手の顔はどんどん困惑していく。地図を見せてジェスチャーを交えてようやく通じたが、言葉は単語の羅列ではなく、文脈と表現が必要なのだと痛感した。



逆に、日本語の中にある擬音語や擬態語、いわゆるオノマトペも、外国人にはとても難しいという。例えば「ザーザー降り」「ワクワクする」「キリキリ痛む」などは、音としては面白いが、意味を理解し、使いこなすには高度な感覚がいる。日本語のオノマトペは感情や状態を豊かに表現できる反面、学習者には一つひとつが壁になる。外国の友人が「ドキドキとワクワクの違いって何?」と聞いてきたとき、僕は明確に説明できず、なんとなく「心臓の高鳴りの種類かな」とあいまいに答えた。実際、日本語を母語として話す僕たちも、感覚的に使っているだけで、その意味をうまく説明するのは難しいことが多い。



こうして、自分が外国語に苦しんだ体験と、外国人が日本語に苦しんでいる姿が重なったとき、僕は初めて言語というものの正体が少し見えた気がした。ただ意味を伝えるための道具ではなく、文化、感情、背景までを背負った複雑な仕組みであり、互いの違いを理解し合おうとする行為そのものなのだ。



言語とは、異文化のかけ橋である。