日本語の国際化
小6 あきあぬ(akianu)
2025年5月2日
日本語は、今まで日本民族によってしか使われたことのない、部族言語だ。外の視線からの刈込がはなはだしいのが英語であり、日本語は、外側の目というのは全くなかった。外国人がフランス語を学ぶのが易しい理由は、人工的に整備されたからであり、日本語には、それがない。そして、外国人に日本語はこれですよと教える時には大きな障害になるわけだ。日本語を刈り込んでいったら、国際普及の日本語になるかということを考えなければならない。
日本語は、特に敬語がややこしいと思う。例えば、先生には尊敬語、自分を下げる時には、謙譲語、丁寧な時に使うのは、丁寧語を用いる。使い方を間違えたり、二重敬語を使ったりしてしまっても、失礼である。そんな難しい日本語を覚えて使いこなすのは、大変だそうだ。私は、ゴールデンウィーク講習で、新宿に行くときに、お父さんと渋谷駅でのりかえをした。渋谷駅は、とても広く、人も多い。だから、どの道を通って乗り換えればいいのか少し迷ってしまったが、何とか、新宿までたどり着くことができた。渋谷駅内には、多くの外国人が訪れていた。その中には、駅で迷った人がいたらしく、日本人の通りかかった人に聞いていた。しかし、日本人の方は、英語が話せなかったらしく、ゆっくり日本語を話していたが、外国人は、日本語が分からないためか、英語で、何ども質問をしていた。日本語が世界に広まるか、日本人が英語を話せるようにならないと、コミュニケーションがとれなくなり、困ると思った。
方言は、昔の日本が交通の便が悪かったため、その地域では流行っていた言葉が定着してできたものだ。例えば、青森県の弘前市は、津軽弁が残っていて、独自の文化があった。独自の文化は、大切である。だけど、もし、東京などに行くときは、標準語も覚えなければならないなと思った。私の母は、仕事で度々福島へ行くことがあったが、地元の方と会議で話すときに何を言っているかわからないことがたまにあるそうだ。小さな日本にも、地域によって独自の言葉があることが分かった。そして、「方言」も大切にしていこうと思う。
言葉は、感情や様子を表すものであり、その地域の言葉は文化であり大切である。人間にとって言葉とは、誰もが分かりやすく、自分が伝えたいことを多くの人に伝える手段だ。だから、日本語が外側の目によって、整備されることは悪いことではないが、日本独自の文化も守っていってほしい。いずれにしても、日本語が世界に普及するのはよいことであり、努力していくべき課題だと思う。