今も昔も
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 いそぐ時には、少しくらい危険があっても、近道をとおりたくなる。けれどそれが失敗する原因になる。

 だれでも、少しでもはやくしごとをすませたいから、ついはやくできる方法をやろうとする。でもいそいでやろうとすれば、はやくやることばかりに気をとられて、一つ一つたしかめたり、ゆっくり考えたりしない。

 それなら、問題をていねいに読んで、よく考えてたしかな答えを書いていった方がよかったんだ。



 ぼくが一番、いんしょうに残ったところは、平安時代からずっと、「急がばまわれ」ということわざが言われ続けてきたところです。なぜならば、千年以上、人々が本当にその通りだなあと、思ったからこそ続いてきた、ことわざだと思うからです。

 ぼくも、このことわざのような経験があります。それは、ユーチューブが見たくて、公文の宿題を適当にやってしまったことがありました。その結果、全部、間違ってしまいました。だけどなぜ、公文の宿題を全部、間違ってしまったかは分かりません。まるで、初めて行く公園へ行く道を間違えて、自分の家に戻ってきたようです。

 ぼくの母は、自動車で一時間くらいの場所で働いています。ぼくが保育園のとき、早く帰ろうと思って、山ぞいの細い道を走っていると、急にシカが飛び出してきました。そしてヘッドライトがこわれてしまったので、レッカー車で修理工場に運ぶことになりました。結局、父に電話をして、父がぼくの保育園へ迎えにきてくれました。そして、父が

「ママの車にシカがぶつかってきたんだって」

と話しながら、母のところまで迎えに行きました。ぼくは、母がせっかく早く帰ろうと思ったのに、シカがぶつかってきて、母は最悪だと思ったんだろうなと思いました。

 昔の人が「急がばまわれ」と言ったことが、今も昔も変わらないことにびっくりしました。ぼくも、その教えをもとに、もう、公文の宿題を適当にやらないように気を付けたいと思います。