目標
   中3 あうえあ(auea)  2025年5月3日

 創造には、情念の力がいる。芸術における創造はもちろん、あらゆる学問にも、また日常生活にもそれはいえることだろう。では、この情念は具体的にどのような情念なのか。

 エジソンの言葉に、「必要は発明の母である」(Necessity is the mother of invention)というのがある。何か必要であって発明あるいは創造が生まれるという意味だが、問題はこの「必要」という言葉の解釈である。

 「必要」は、英語でおもに二通りの表現の仕方がある。ニーズとウォントである。だが、同じように「必要」と訳されながら、この二つの言葉の実際の意味は、かなり違うのだ。

 「ニーズ」という言葉は、空間的にいえば、外部の状況を判断して、割り出した必要性であり、時間的に見ると、過去から現在にかけて人間が経験したこと、得たものを基準にして割り出した必要性という意味に使われる。これに対して「ウォント」は、自分の内部から出てくる必要性であり、現在と未来に時間軸をとった上での必要性を意味している。すなわち、欲望とか欠乏を内包した「必要」がウォントの由来なのだ。

私は必要だからするではなくしたいからするという生き方をしていきたい。

そのための方法として、まず大切なのは、目標をしっかりと定め、それを実現させようという強い信念を持つことだと思う。目標を持つということは、自分の夢や願いをただ漠然と心の中に描くだけでなく、それを現実の行動に結びつける、具体的な形にするということだ。私は今年、受験生だ。行きたい高校はもう決まっている。だから、どんな勉強をして、どのくらいの点数を取ればよいのかがはっきりしている。その高校に合格するために自分に足りないものは何か、どの教科を重点的に取り組むべきかを考えながら、毎日の勉強に取り組んでいる。目標が定まっているからこそ、今の状況とゴールの距離を意識することができ、今何をすべきかが明確になる。一方で、私の友達の中には、週ごとに志望校が変わる子がいる。その子はまだ本当に行きたい高校が決まっていないようで、いろいろな選択肢を考えながら迷っている。もちろん、時間をかけて自分の進路を考えることは大切だと思う。でも、目標が定まらないと、どんな勉強をどのくらいやればいいのかがわからず、計画も立てにくくなってしまう。やはり、目標があるかないかで、日々の行動や気持ちの持ち方は大きく変わる。目標が明確にあると、自分の努力が何のためなのかがわかるし、途中でつまずいたとしても「ここであきらめたくない」という気持ちが支えになってくれる。だから私は、自分の中で「これをやりたい」「ここに行きたい」と思えるようなはっきりとした目標を持つこと、そしてその目標に向かって努力し続ける強い気持ちを持つことが、何より大切だと思っている。

 また第二の方法としては社会の固定概念にとらわれないことが大事だ。簡単に言うと回りに流されないことだ。周りの友達がこうだから、ではなく自分に今何が必要なのかを考えることが大切なのだ。高校受験の話とつなげると、あの子があの問題集を一周解いてたから私は2週解こうとかではなく、自分に足りないことを具体的に見つけることが大事だ。(みんながあの塾に行くから私も同じ塾に入らないとおいていかれる)という思考が生まれたこともある。周りに合わせないとおいていかれるという焦る気持ちはすごくわかる。みんなが伸びていくと自分だけが惨めに見えることもあるだろう。でも、そこで焦って周りの真似をするだけでは、自分にとって本当に必要なことが見えなくなってしまう。受験は他人との競争に見えて、実は自分との勝負だ。どこが弱いのか、何をすべきなのかをしっかり見極めることが大切である。例えば、英語が苦手なら、まずはそこを重点的に克服するべきだ。周りが難しいことをしているからといって、自分も無理に合わせる必要はない。自分に合った勉強法、自分のペースで進めることが、結果的に一番効果的だ。そしてこれは受験だけでなく、将来の生き方にも関係してくる。他人の価値観に流されるのではなく、自分で選んだ道を信じて進むこと。その積み重ねが自信となり、自分の軸となる。焦らなくてもいい。他人と違っても、自分にとっての正解を探すことが一番大切だ。そうやって自分で選んだ行動が、きっと将来の自分を強くしてくれるはずだ。

たしかに今やらなければいけないことを見極めることも大事だ。しかし「知識がはしごを作ったのではなく2階に上がりたいという熱意がはしごを作ったのだ」という名言があるように、私は自分の内側からあふれる熱意を大事にしたい。周りに流されるわけでもなく目標を定めて自分の夢を叶えたい。私はこれからも自分の目標に向かって全力で頑張っていきたい。