「本当の話し上手」についてお話しましょう
中1 あおなち(aonati)
2025年5月3日
饒舌の人は、とかく「間」をとることに気が回らなかったり、「間」の必要を感じていない場合が多いのに対して、話し上手と呼ばれる人は、意識して、あるいは無意識のうちに、うまく「間」をとり入れている違いがあるように思う。「サーヴィス」の気持ちからなんとかおしゃべりして「間を持たせる」というときも確かにある。しかし、困るのは、「サーヴィス」のつもりが、いつの間にか自己弁護や自己顕示になり、果ては自己陶酔になっているのにも気づかずと言う場面だ。思わせぶりな「間」は、良い余韻にも余情にもならないのだ。自然に「間」を必要とするのは、必要とするだけの実質をそなえているものなのだ。
私たちは、間を取って相手と話すことは大事なのだ。
理由その1。緩めるところがないと力が発揮できないからだ。サッカーの試合中。ずっと100%で走っていた。まだ前半なのにかなり疲れてしまっていた。小学生の時、中学のクラブチームと練習試合をすることになった。僕らは、初めて中学生コートで試合をする。コーチは、とにかく
「気合を入れて走りまくれ」
としか言ってくれなかった。
「そう言われても…」
と、僕らは心の声がもれそうになる。だが、戸惑うのもしょうがない。なぜなら、小学生コートより約2倍ほど大きいのが中学生コートだからだ。
コーチは、ベストメンバーを最初にピッチを送った。僕もベストメンバーとしてピッチに立った。やはり、見る景色がいつもと違う。そう思いながらも試合がスタートされた。前から全力でプレスをかけていく。しかし5分後。みんな
「ぜーぜー」
言いながらプレスをかける。10分後。前からのプレスは、もう無理と判断し、プレスを緩めることにした。当然他の場面も走るのを緩めた。1本目が終わった時試合に出ていたメンバーは完全に疲れ切っていた。コーチが苦笑いしながら前に出てきた。
「お疲れ、今のはアップだと思え。そして、大事な助言を言っておこう。100%の全力と40%などの緩めるを駆使して、大事なところで120%出せるように意識してプレイしろよ。行ってこい。」
と言われた。このことから、緩めるところがないと、大事なところで力が発揮できないことがわかった。
理由その2。間を取ることで、注意を引くことができるからだ。例えば、僕の中学校の先生の話だ。その先生は英語を担当しているのだが、生徒の質問などに聞く耳を持たず、自分の話ばかりする。授業の話に入っても、生徒の質問には全く答えず、わからないまま授業を終えることが多い。
だからか、その先生は人気がない。もっと心を穏やかにして、間を意識し人とのコミュニケーションを大事にしてもらいたいと思う。
確かに、内容の充実を考えることも大切だ。しかし、「時間を作る第一の方法は急ぐことではなく、どこに時間を使うか考えることである」と言う名言もあるように「間」を生かして、それによってさらに内容を強化できることを心がけていくことが大切だ。自分が話したことを相手に受け止めてもらうには話してが聞き手に気遣いながら話さなくてはならないのだ。一方的に話をされれば、考える時間もなく反論することができない。押し売りになってしまう。