「やりたい」で行動する事
中3 みさと(aetami)
2025年5月3日
創造には、情念の力がいる。芸術における創造はもちろん、あらゆる学問にも、また日常生活にもそれはいえることだろう。何か必要であって発明あるいは創造が生まれる、というと問題は「必要」という言葉の解釈だ。「必要」は主に英語でニーズとウォントの二通りの表現の仕方がある。「ニーズ」は理性による判断からうまれた「必要」。これに対して「ウォント」は、現在の自分の中にある何かとてもいたたまれないような、場合によってはたまらなく爆発したくなるような情念からうまれた「必要」という具合に解釈しても良いだろう。
私は、必要だからするのではなく、自分がやりたいからすると思えるようにしたいと思う。
そのための方法として第一に、目標をしっかり定め、その目標を達成するために進んでいくことが大切だ。例えば、私は歌やダンスのコンクールの経験があるが、その時には具体的に「地区〇位」といった目標を立て、他の出場者の特徴やコンクールの特徴など、たくさんの情報をつかむことを心がけた。その目標に向かって努力し続けることで、はじめはやらされていたようなことだったとしても、どんどん自分からアイデアを思い付き、試し、成功させようというポジティブな考えに変わっていく。実は私はあまりそういった経験がなく、やらされているという状況の中で頑張る、ということを続けてきてしまっている。中学3年生の今。高校受験、大学受験、そして仕事をする社会人となっていく中で自分の情熱から目をそらさずにやりたいことにはとことん打ち込み、義務も楽しんで行うことでウォントにしていきたいと思う。
また、第二に、社会の固定概念に縛られすぎずに生きたいと思う。
社会の中にある固定概念。例えば、学歴や職業に関して、誰もがエリートコースを目指すのが当然だというような価値観。しかし、私が本当に尊敬するのは、そのような道を歩まなかった人たちだ。自分の興味や関心をとことん追求し、たとえ回り道をしたとしても、自分らしい生き方を実現している人たちの話を聞くたびに、私もそうありたいと感じる。例えば、私の父は小・中・高校とあまり勉強をしてこなかったらしい。だから成績もあまり良くなかったという。だが、その父の現在は、たくさんの人と交流し、会社をまとめるような存在になっている。私自身も、進路を考えるときなどは世間の評価ではなく、自分の心がどこに惹かれるのかを大切にしていきたい。
もちろん、現実には「やらなければならない」こともたくさんある。学校の宿題、試験勉強、家の手伝いなど、避けては通れないことも多い。しかし、だからこそ、それをただ「義務」として受け止めるのではなく、自分なりに意義を見出し、納得した上で取り組むことができれば、結果も気持ちも大きく変わってくるはずだ。無理やりやらされていると感じるよりも、自分で選んでいるという感覚がある方が、モチベーションも維持しやすい。
これからの人生、選択の連続だ。その一つひとつを「やらなければならない」から「やりたい」に変えていくためには、自分自身と対話し、目的や価値観を深く掘り下げていくことが必要だと思う。そうすることで、どんな困難な道でも、心から納得し、前向きに進んでいけるのではないだろうか。(主題:GPT)