日本語の難しさ

   小6 みさ(misa)  2025年5月4日

 日本語は、美しく繊細な表現力をもつ言語として知られている。しかし同時に、習得するのが非常に難しい言語の一つとも言われている。私は日本語を母語として育ったが、それでも時折、「日本語って難しいな」と感じる瞬間がある。例えば、小学校5年生のときに学んだ、敬語・尊敬語・謙譲語だ。相手によって使い分けねばならないし、二重敬語など様々な掟があるのだ。ましてや外国語として学ぶ人にとっては、なおさら複雑であることは想像に難くない。日本語には文法がないのだからなおさらだろう。今回は、そんな日本語の難しさについていくつかの観点から考えてみたい。

 まず、第一に挙げられるのは「漢字」の存在である。日本語にはひらがな、カタカナ、漢字という三つの文字体系があり、それぞれが文中で使い分けられている。この点だけでも、他言語にはあまり見られない複雑さがある。特に漢字は、一つの字に複数の読み方があるため、初学者を混乱させる。たとえば「生」という漢字は、「せい」「しょう」「い(きる)」「う(まれる)」「なま」など、文脈に応じて読みが変わる。また、同じ音でも意味の異なる漢字が多数存在する(例:「こうこう」=高校、孝行、航行など)。そのため、読み書きの習得には膨大な時間と努力が必要になる。

 第二に、日本語特有の「曖昧さ」も難しさの一因である。日本語では、主語を省略したり、結論をぼかしたりする表現が日常的に用いられる。たとえば、「ちょっと考えておきます」という表現は、一見前向きな返事のように見えるが、実際には「断りたい」という意味を含んでいる場合もある。また、「いけたらいきます」という表現も行かないとはいってないけどやんわりと断るような微妙な表現の仕方を持っている。このような暗黙の了解や行間を読む力は、外国人にとって非常に理解しづらいポイントである。文化的な背景や価値観を共有していなければ、本当の意味を読み取るのは難しい。

 一方で、こうした難しさこそが、日本語の魅力でもある。漢字による視覚的な美しさ、敬語によって生まれる礼儀正しさ、曖昧な表現に込められた奥ゆかしさ。これらはすべて、日本語という言語の中に息づく日本文化の表れである。日本語を学ぶということは、単に言葉を覚えるだけでなく、その背後にある価値観や考え方を理解しようとする営みでもある。日本語の難しいところを一つずつ乗り越えていく中で、言語の奥深さや豊かさに触れることができる。母語話者である私たちも、改めてその難しさと美しさに気づき、日々の言葉遣いにより一層の注意を払うべきなのかもしれない。日本語の難しさは、同時にその魅力でもあるのだ。