夢中になれるということ
   中3 あおさみ(aosami)  2025年5月2日

 何を読むかという前に、夢中で読むという体験を一度味わう必要がある。一度読む楽しさを知った人は、本をもとめてゆくものだ。読書はいつどこででも自分の中へ引き戻し、自由に別世界へと想像力を羽ばたかせることができる。また一冊の本を読み終えたとき、別人になったように思える経験は読書以外では味わえない。こうなると読書が深く複雑なものに変わってゆく。 読書の対象はこうして拡がってゆくのだ。



 私は一度夢中になり始めると、時間を忘れて没頭する。夜本を読み始めたことで、寝るのが遅くなることもしばしば。刺繍や読書など、終わりへ近づくごとに達成感を感じるとともに、終わることへの悲しさも感じるあの瞬間が大好きだ。私は何か夢中になれる人間になりたい。

 

 そのための方法として第一に、挑戦しコツコツ続けることだ。

私は興味のあることに没頭しやすい一方で、熱が冷めやすいという面もある。ある職業や分野に強く惹かれて運命を感じても、1週間後には見向きもしなくなる、なんてこともあるのだ。まさに三日坊主という言葉がぴったりである。続かない原因のひとつに、自分でハードルを高く設定しすぎていることがあると思う。例えば、数ヶ月前、量子学に興味を持ち、本を何冊か読んだ。もっと難しい内容に挑戦しようと図書館で分厚い本を借りたが、内容が難しく数十ページで挫折してしまった。今振り返れば、毎日1ページずつ読むという、低いハードルを設定しておけば、読み切ることができたかもしれない。実際、私が中国語の学習を始めたときも、リスニングや発音の壁にぶつかり、やめてしまいたかった。だが少しずつでも毎日続けていくうちに、その壁を乗り越え、学ぶことが楽しくなった。このことから、何かに興味を持ったときは、毎日そのもの触れることが大切だと思うようになった。



 第二の方法として夢中になれるような環境をつくることだ。過度な話し声や生活音が作業の妨げになった経験は多くの人が持っているだろう。私も学校や家が騒がしいと授業や読書に集中できず、集中したいという思いが届かぬようで、苛立ちや不安を覚えることがある。

マリア・モンテッソーリはモンテッソーリ教育の創始者であり、イタリア初の女性医学博士である。このモンテッソーリ教育では「整えられた環境づくり」が基本原理の一つになっている。自発性を身につけるためには、子供の知的好奇心が自発的に現れるような環境の整備が必要なのだそうだ。つまり興味のあることに集中して取り組める環境にするということだ。集中できる環境が保障された中で、それぞれが自分が選択した教具を使い活動に没頭する。私が通っていた保育園でもモンテッソーリ教育が取り入れられていた。なので時間いっぱい集中していた。心に残っているのは、一人残らず、表情が明るく、達成感や充実感に溢れていたことだ。子どもだけの力で環境を変えるのは難しい。だから社会や集団を動かす組織などが、もっと環境づくりに力を入れることが大切だ。さまざまなものに触れる機会を増やし、安定した環境を提供する。私は今でも保育園で過ごした日々を忘れない。それはきっと楽しく心ゆくまま過ごせたからだろう。



 確かに、自分が夢中になれるものばかりやっていればいいわけではない。しかし、「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない」という言葉があるように、何か夢中になるものがあることで、日常が楽しく、自分を癒す時間となる。そしてそれは糧となり、日々に生かされるだろう。