日本語
   小6 あおやゆ(aoyayu)  2025年5月4日

 日本語は今まで日本民族の中でしか使われたことのない内輪の言語、つまり部族言語だ。どこの言語も初めは部族言語なのだが、それが外国に広まりだすと、外の視点も入ってきて言語の刈り込みが行われてくるわけだ。日本語は明治から今まで100年の間に驚くほど変わった。戦後の40年間でもどんどん変わっているという野放図な自然言語なのだ。日本はこれからどうやって日本語を刈り込んでいったら国際普及の日本語になるかということを考えなければならない。そして、これは国家的な爺業として相当大きな研究課題としてお金をかけ、真剣に取り組まないとどうにもならないと思う。つまり、日本語は内輪でしか使われてこなかったため整備されていない。これから国際普及するためには、もっとわかりやすく整備する必要があるということだ。

 私は学校で英語と日本語を習っているけれど断然日本語のほうがわかりにくいし覚えることがたくさんあるため苦手だ。カタカナは外国から入ってきたものや新しい現代的なものに多く使われ、漢字は中国から来たものや何となく厳密な感じのビジネスシーンによく使われ、ひらがなは詩や俳句などわざと柔らかく表現したい時や上記の漢字やカタカナ以外の時に使う。そして、日本人も間違えるくらいの同音異義語だ。「移動」だけでも異動、井道、医道、異同など多くの単語が思いつく。これを周りの文脈で理解して正しいものを書けというのだからなかなか使いこなせない。次いで、敬語。謙譲語や尊敬語、丁寧語の三つに分類されるが自分の動作に「御」をつけてしまったり逆に他人の動作を敬語ではない言葉で言ってしまったりと失敗が多い。日本人でも完璧な人は少ないと感じる。私は瞬時に口から出てくるほど慣れてはいないがカタカナや漢字に加え同音異義語と敬語なんてこれから日本語を習う外国人にはたまったものではないだろう。

 英語と比較してみると同じ「嬉しい」でも英語ではhappy、日本語では愉快、喜ばしい、満足、歓喜など自分の感情を豊かに示すことのできる内輪の原穂であることがよくわかる。私の考えとしては日本語ならではの多種多様な言葉遊びを昔の俳人は楽しんだわけだからそれを完全否定してしまうのではなく日本語の良さとして認めてもらうのが一番いいと思った。

 言語とは人間にとって自分の言いたいことや感じたことを表現するために使うものである。日本語が複雑なのも良さだと思う。日本語の複雑さは日本の文化として世界へ紹介していけば良いのではないだろうか。