こればかりは自分で(清書)
   中2 あえもま(aemoma)  2025年5月4日

 私は先日、自動ドアの前で手を使わずに中へ入れたとき、「便利だな」と感じた。気づけば、掃除機も照明も、昔なら考えられなかったようなことまで機械がやってくれている。技術は日々進歩しているが、果たしてそのすべてが本当に必要なのだろうか。私たちは、自分自身が満足できる暮らし方を考える必要があると思う。



 利便性の高い生活は暮らしを豊かにしてくれる。 たとえば、私は毎朝スマートフォンのアラームで目を覚まし、天気予報アプリで気温や降水確率を確認してから服を選ぶ。学校へ行く準備をしながら、朝食を作るのは電子レンジやトースターだ。以前、家の冷蔵庫が機能しなくなったことがある。そのときは飲み物や食材が生ぬるくなってしまい、朝食やお弁当の準備が思うようにできず、家族もとても困っていた。普段は当たり前のように使っていた冷蔵庫のありがたさを、そのとき初めて実感した。また、授業でわからなかったところを調べるのに、スマートフォンは欠かせない。辞書や参考書が手元になくても、数秒で答えに近づくことができる。こうした便利な道具に支えられているおかげで、限られた時間を有効に使えたり、生活の質が上がったりしている。さらに、スマホ一台で世界と簡単につながったり、さまざまな世界の情報を見ることができるようになった。遠く離れた世界が、まるで自分のすぐ近くにあるかのように感じられるのだ。もちろん、便利すぎて頼りすぎてしまう面もあるが、私たちが工夫して使えば、よりよい生活をつくるための強力な味方になってくれると思う。



 だが、余計なものをそぎ落とした暮らしから見えてくる大切なものもある。 私は以前、「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」という本を読んだことがある。この本は、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領について書かれたものだ。かつて「世界一貧しい大統領」と呼ばれたが、「多くのものを必要とする者こそ貧しいのだ」と意に介せず、1国のリーダーとしては異例の質素な生活を貫いた。例えば、報酬の大部分を財団に寄付したり、知人からもらった1986年型の車を今も大切に使っていたり、大統領在任中も農場での生活を続け畑を耕したりなど、質素な生活を好んでいた。そのようなムヒカさんは、「真の幸せ」について、「物質的な豊かさばかりを追求するあまり、私たちにとってかけがえのない人と人とのつながり、特にお年寄りを尊重する姿勢が失われつつあります」と語っている。このようなホセ・ムヒカさんの思いや生活を知って、私は、物があふれる今の時代だからこそ、人とのつながりや心のゆとりこそが、本当の幸せをつくるのだと思った。



 確かに、利便性の高い暮らしにも、質素な暮らしにもそれぞれ良さがある。しかし、「人生で大事なものはたったひとつ。心です。」という言葉があるように、本当に大切なのは自分の心の豊かさなのである。それぞれが自分に合ったライフスタイルや夢、目標に沿って自分らしく生活し、心の豊かさを求めていけば、それは社会全体の豊かさにもつながるのだと私は思う。