こればかりは自分で(感)清書
中2 あかるら(akarura)
2025年5月4日
機械化された生活は効率的だがシンプルな生き方は心の豊かさを与えてくれる。
便利で快適な生活は良い。この生活を支える技術の発展によって私達ができることが増え、時間を作り出すことができるからだ。その一例として洗濯機が考えられる。洗濯機に乾燥の機能が加わったものを購入した際、母の洗濯事情が大きく変化した。天候に左右されなくなったのだ。以前は洗濯をする度に天気を見ることは欠かせなかっただけでなく、天候が急変すれば洗濯物を何度も出し入れしなければならないといった気持ちの負担が大きかった。しかし従来の機能に乾燥機が加わると、天気が変わったとしても洗濯物を乾燥させることに手間が掛からなくなった。また今までは洗濯に充てていた時間を別の家事や作業に使うこともできるようになった。このように心の負担を軽減することで機械が動いている時間を別のことへ有効活用できるのだ。
しかし、機械化されていないシンプルな生活も良い。人の目による見守りは何にも代えがたい安心感を持っている。確かに現代では防犯カメラが私達をより広い範囲で見守っている。またこの画像が素早い犯人逮捕に繋がる。しかし人が行うからこそ出る良さもあるのだ。小学生の頃、6年間毎朝通学路に立っていた見守りの人がいたが、この人が自分にとって安全面だけでなく心の豊かさという面でも大切な役割を果たしていた。初めは挨拶が中心だったが、高学年になると困った際に駆け込んだり、会話や触れ合いを楽しんだりする関係性になっていった。これは機械にはできないことだ。その人の仕事はただ毎朝立って小学生を見守るということだけと言えるかもしれないが、これが安心感に繋がっていたり、少しでもかわす会話が安らぎや心の温かさを与えてくれたりしていたのだ。このように機械ではなく、人との関係の中でのシンプルな生活によって私達の心は豊かになるだろう。
確かに機械化された便利で快適な生活にも素朴でシンプルな生活にもそれぞれ良さがある。しかし最も大切なのは自分がどのように生きたいのか考えることである。「人生に目的を持たないことは、舵を持たずに航海に出るようなものだ」というフランスの哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュの言葉がある。生活の全てを機械化する必要も、シンプルな生き方を過度に求めるのでもない。何が自分にとって大切かを様々な経験を通して選択し、豊かな人生を送っていくことがいくことが重要だと思う。