意識的な休息
高1 あえもも(aemomo)
2025年5月3日
現在、「何もしないでいる」状態を、「何もしない」ことで維持することが難しい社会である。切迫した状況のなかで「何もしないでいる」ために、仕事でも趣味でもないことを真剣にやることで、仕事の予定を締め出してしまわなければならないのである。人間は本来、「流れる」時間と「積み重なる」時間の双方を交互に体験するはずだが、現在は「流れる」時間の呪縛力が強く、「変わり目」のメリハリも、薄れてきているようだ。しかし、「積み重ねる」時間は、個々が意識的に「暗転」と「幕間」を作り出すことでしか確保できない。現代の人々は、「積み重ねる」時間の中で「何ごとかをしている」ことよりも、「流れる」時間の中で「何もしていない」ことの方が重要で、必死になってそれにすがりついているため、必ずしも趣味とは言えない「何もしないでいる」ための手続きをしている。このことから私は、意識的な休息を持つことが大切だと考える。
その方法としては第1に、自分が夢中になって楽しめる趣味を持つことだ。私の趣味は、食事をすることだ。心身共に切迫する時期も食事をすることで、乗り切っている。特にそれが私の支えとなるのが、学校の定期テスト前だ。学校では、全科目の教師から、テスト範囲や課題の説明など、テストの話を耳にタコができるほど聞かされ、家では、テスト課題に追われる日々になる。毎度、安易に娯楽を楽しむことができない苦痛を味わっている。学校帰りも、「今日も勉強しかできない。」とネガティブ思考になりがちだ。しかし、そのような時も夕飯のことを考えると、私の心に花が咲く。一日三度の食事時間は、私の休息として、「勉強」や「時間」のことを考えず、その料理を心底楽しんでいる。途中で、使用する匙を変えてみたり、お茶碗に盛られたご飯は、途中でおにぎりに変えて、別の食べ方を堪能してみたり、食事を充実させる工夫は決して怠らない。こういった夢中になれる趣味で意識的な休息をとることで、一つの区切りとなり、新しい気持ちで、またやるべきことと向き合うことができるのだ。
第2の方法としては、活動時間を評価するのではなく、充実性を評価するような社会を実現していくことだ。現在の世の中は、学校や会社など最低限の活動以外に、部活の試合や習い事、塾など、様々な外部活動が充実している。このような世の中、私は時に、明らかに多忙な生活をしている人を見かける。私の某英語教師は、フルタイムで働きながら、長期休暇には、通信式で大学院生として授業を受講し、単身赴任の夫と2人の子育てという生活をしている。そのためか、常に早く仕事を片付けようとする仕草が頻繁にみられる。私は、当初、それだけ沢山のことをこなすことのできるその教師を尊敬していた。しかし、本当にその先生は充実しているのか。心は満たされているのか。そこまで汲み取って評価したわけではない。様々な活動で仕事をやりこなす人を見ると、圧倒されると同時に、自分が惨めに感じた経験をした人は多いだろう。ところが、それら中身の充実性が何より大切であり、その充実性が心身の健康をもたらす。そういった中身の充実性に焦点を当てるような社会になることで、主体的なリラックスができるようになるはずだ。
確かに、何にもしない休息方法も有効である。しかし、過密スケジュールのなかを生きる私たちは、意識的な休息を持つことが大切だ。「休息とは何もしないことではなく、心を満たす活動である。」自分が夢中になって楽しめることを意識的に行うことが、心身の休息となり、豊かな生活の実現へとつながるのだ。これからは私も、趣味をする自分を大切に心身ともに充実した生活を心がけていきたい。