【段落ごとの講評】
●第1段落:問題提起として「時間に縛ら(しばら)れた社会」への疑問を投げかける力強い出だしが印象的です。歴史的背景と現代の生活の対比から主張を導き出す構成に説得力があります。
●第2段落:産業革命と能率主義を結び付けた展開が論理的で、現代社会への批判も的確です。「学生も同様」と立場を広げた点に読者への訴求(そきゅう)力があり、例示の豊富さが議論に厚みを加えています。
●第3段落:時計の登場を「時間の可視化」ととらえ、仮説を用いて自由な生活の可能性を想像する着眼点がユニークです。思考実験としての面白さと、現実との対比の鋭さ(するどさ)が光ります。
●第4段落:現実への着地が自然で、前段の批判的視点とバランスを取る役割を果たしています。「余裕(よゆう)」や「ペース」の重要性という提案は、読者の共感を得やすく、結びとしても効果的です。

【特に優れていた点】
・歴史と現代をつなぐ視点があり、論の展開に深みがあったこと。
・仮説を用いた想像的な議論が、読者に新鮮(しんせん)な視点を提供していたこと。

【考えを深めるための質問】
「時計を失った自由な社会」には、どのような新しい課題が生まれると思いますか?自由の裏側にある責任についても考えてみましょう。

【より字数を増やすための工夫】
江戸(えど)時代の時間の感覚(不定時法など)や、それが失われて現代にどう変化したかをもう少し具体的に描く(えがく)と、論がさらに説得的になります。
・「ゆっくり地道に行う作業」の例(農業、手芸、読書など)を挙げると、主張の具体性が増し説得力が高まります。

【自作名言の提案】
「時間とは、我々が縛ら(しばら)れている檻ではなく、本来は自由に泳ぐための水であるべきだ。」
 


■思考語彙 20種 25個 (種類率80%) 77点
。しかし,。もしも,かによって,が可能,こうして考える,ことこそ,ことにより,すれば,だろう,と言える,なくなれば,なければ,ならざる,のかも,みると,も同様,全く同様,内により,建てよう,時間に対して,

■知識語彙 78種 129個 (種類率60%) 92点
一定,一種,一部,主義,事実,交通,人間,人類,以前,以降,仮説,会社,余裕,作業,価値,側面,傾向,優秀,先生,公共,加速,単純,原始,可視,営業,地道,場面,変化,学力,学生,定刻,実現,尊重,導入,工業,強制,形態,形成,思考,成果,成績,授業,敏感,数値,日本,明快,明治,時計,時間,最中,期間,概念,機関,江戸,没頭,消滅,満足,現代,生徒,発展,発明,発露,短時間,社会,立場,管理,能率,自由,装置,言葉,資本,趣味,近代,追試,速度,達成,部活,重要,

■表現語彙 120種 214個 (種類率56%) 82点
が可能,こと,これ,それ,それぞれ,どれ,もの,も同様,ゆえ,よう,ゲーム,スコア,スタート,テスト,バカ,ペース,一つ,一定,一種,一部,上,主義,事実,交通,人,人々,人間,人類,仕組み,以前,以降,仮説,会社,何,余裕,作業,価値,個々,側,側面,傾向,優秀,先生,全く同様,公共,内,加速,化,単純,原始,可視,営業,地道,場面,変化,学力,学生,定刻,実現,尊重,導入,工業,強制,当たり前,形態,形成,得,思考,成果,成績,我々,授業,敏感,数値,日本,明快,明治,時,時計,時間,最中,期間,概念,機関,気,江戸,没頭,消滅,満足,現代,生き方,生徒,用,発展,発明,発露,的,短時間,社会,立場,管理,罰,能率,自由,装置,言葉,誰,資本,趣味,身,近代,追試,逆,通り,速度,達成,遥か,部活,重要,量,

■経験語彙 38種 62個 (種類率61%) 76点
うる,かける,こうして考える,しまう,しれる,すぎる,たまる,ついていける,できる,と言える,なくなる,ぼる,られる,れる,わかる,与える,収める,取る,呼ぶ,困る,失う,始める,寝る,崇める,建てる,得る,忘れる,感じる,挙げる,捉える,縛る,置き換える,置く,行う,行える,起きる,足りる,閉じ込める,

■総合点 86点

■均衡点 4点
 

時間に縛られるとは
   高2 たくま(aiyono)  2025年5月2日

  時間という概念が人類に認識されたのは、紀元前に遡るが、時間という概念を可視化したのはごく最近のことである。現代は時間軸を中心に回っている。我々が学校や職場に出勤する際にも、時計は用いられているし、電車やバスと言った公共交通機関にももちろん用いられている。もはや我々は時間、ひいては時計とは離れられない生活を作り上げてしまった。時間中心に生きる現代社会には多数の利点は確かに存在するものの、一方で我々を時間という概念に常に縛り付けるという弊害も生み出してしまった。電車が唯一時刻通りに来るというこの日本では、その被害も顕著だろう。常に時間を気にする我々を生み出した原因とは何であろうか。

 まず原因として挙げられるのは、短時間でいかに成果を挙げられるかという能率主義の出現だ。御存知の通り、現代社会を作り上げた原点は英国の産業革命からスタートしている。人間が達成しうる作業量の遥か上を行く工業化が発展したことで、人類に短時間でいかに成果を挙げられるかという資本主義、能率主義的思考が発露し始めた。現代社会に置いても、それは全く同様であり、会社に置いても、一定期間内にどれほどの営業成績を収めたかによって、会社内の立場が変化することからもわかるだろう。またそれは学生の立場である我々も同様である。学力テストといった形態も、ある一種の能率主義と捉えることができる。一定時間内により高いスコアを達成したものが優秀とされ、逆に低いスコアを取ったものには追試と呼ばれる罰が与えられる。こうして考えてみると、現代社会のほとんどの仕組みがこの能率主義的ゲームに置き換えることが可能だ。どんな場面にも能率的仕組みが導入されてしまったことにより、我々はより一層時間に対して敏感にならざるを得なかった。テストの最中に時間を気にしないバカがいないように、誰もが時間という概念を崇める用になってしまった。これは果たして良い傾向と言えるだろうか。

 さて、もう一つ挙げるとすれば、時計という発明をしてしまったことだろうか。単純明快、時計とは時間を可視化する装置である。そんな当たり前のことが実現されたのは、近代以降である。日本では江戸以前、時計というものが無く、明るくなったら起きる、暗くなったら寝るといったように、原始的な時間に対する生き方を行っていた。ところが明治以降、時計というものが発明されてしまったゆえ、我々の原始的時間の生き方は、数値され管理されるようになってしまった。ある一種の仮説を建てよう。もしも時計がなかったら我々はどんな生き方を強制されていただろうか。まず何時に起きるという概念がなくなる。そして何時に寝るという概念もまた同時に消滅する。授業は先生が満足行くまで行えるようになるし、生徒もまた満足の行くまで趣味や部活に没頭できるようになる。時間を忘れるという言葉があるように、時計がなくなれば、我々の生き方はより自由になるのだろう。時計という発明は、人類を時間という概念に閉じ込める装置だったのかもしれない。

 とはいえども、時間を気にしなければならないというのもまた事実。公共交通機関が定刻通りに来なくなったら困るのは我々であるし、先生が満足の行くまで授業をされるというのも、生徒側からしたらたまったものではない。しかし、いささか我々は時間に縛られすぎるがゆえに、余裕を失いかけている側面がある。現代人に足りないものは、余裕である。ゆっくり地道に行うという作業に価値を感じなくなってきた現代では、超加速する作業についていけなくなった人々を置いてけぼりにし、一部の人間の身が得をするような社会が形成されてしまっている。人間にはそれぞれのペースというものがあり、個々の速度を尊重することこそが最も重要なことではないだろうか。