感じる時間の速さ
社 らたよ(ratayo)
2025年5月2日
現代社会では、時間は秒単位で管理され、どの瞬間も同じ意味を持つ均質な流れとして扱われがちだ。とくに医療の分野では、診療時間、手術予定、回診スケジュールなど、あらゆる行為が厳密な時間の座標に従って進行する。しかし、それが本当に患者や医療者にとって最善のあり方なのかは分からない。時間を、いつもどこでも同じ速さで流れるものとして、人生や行動の単なる座標と捉えることが問題である。
第一の原因は、医療制度や病院の運営が、定刻通りに物事を進めることで成立しているからだ。病院では、外来の予約は○時○分単位で組まれ、診察は限られた時間で終えなければならない。医師も看護師も、スケジュールに追われているのが現状だ。だが、患者の病気の時間はそうした一律の時計の上にはない。たとえば、同じ診断名でも、ある人は長い間症状に悩み続けた末の受診であり、ある人は突然の不調で動揺している最中かもしれない。にもかかわらず十分で終わらせる診察という時間管理のもとで対応されるのは、本来の生きた時間を無視することにつながるのではないだろうか。
第二の原因は、文明的な時間感覚以外の、異なる時間の流れの存在に目を向けなくなっているからだ。たとえば、動物ごとに時間の感じ方は異なるということを聞いたことがあるだろうか。それは、体重によって代謝速度や心拍数が異なるため、ネズミとゾウでは一日の感じ方がまったく違うということだ。これは人間にも当てはまりまる。高齢者の一日は若者の一日とは体感的に異なり、認知症の方の時間感覚も、健常者とは異なる。また、今が何時かが分からないことも多く、目の前の出来事や感情がその人にとっての現在を形作っているのだ。患者の今を大切にできる医療とは、こうした多様な時間の感覚に寄り添うことから始まると思う。
確かに、現代医療において、一定の時間管理は必要である。手術や投薬、チーム医療において時刻の統一がなければ、安全性が損なわれてしまう。しかし、それでも忘れてはならないのは、時間とは単一の座標ではなく、それぞれの生命が紡ぐ生きたものであるというように、患者一人ひとりが生きる時間は異なり、病を通して感じる時間の流れは、誰とも比べようがないものである。よって時間を、いつもどこでも同じ速さで流れるものとして、人生などを座標と捉えることが問題である。私たちが時をひとつのものとして感じ取る力を取り戻すことで、医療もまた、ただの効率や制度のためではなく、生きた人間のための行為として、より人間的で温かなものになっていくのではないだろうか。現在、高度に情報化・効率化された現代医療の中で、時はただのスケジュール管理の道具として消費されがちである。しかし、患者や医療者それぞれが持つ時の流れに耳を傾け、その多様性を認め合うことが、これからの医療に必要なのではないかと私は考える。