会話をするために
   中1 みお(aemio)  2025年5月3日

 饒舌の人は、とかく「間」をとることに気が回らなかったり、「間」の必要を感じていなかったりする場合が多い。それに対して、話し上手の人は意識して、あるいは無意識のうちにうまく「間」を取り入れている。饒舌でも、風をふかせながらであれば、聞いているほうも苦しくはなく、風のあいだに相手が連想し想像し施行する余裕がある。そして、余韻や余情、ふくみ、それらはすべて風いわゆる「間」のいかしかたにかかわっている。自然に間を必要とするのは、必要とするだけの実質をそなえているもの、ということになるのだ。適度に間をとり、言動を休めることは重要だ。その理由は二つある。

第一の理由として、話し手がずっと話続けるのではなく、間をあけることで聞き手が内容を整理し質問したりして、正確に理解できるようになるからだ。私の理科の先生は、他の先生よりも質問しやすい。単に話すスピードがゆっくり、ということではなく、文と文の間に少しだけだが間をとっているため、内容整理ができたり、質問ができたりする。しかし、ずっと話しっぱなしの先生は、タイミングをつかみづらく、また、話を中断しないほうがいいかなと余計に気を使ってしまうため質問するときに話しかけづらい。だから、間をとることで聞き手が理解しやすく、話がスムーズに進むと思う。

第二の理由として、間をとることで、力を効果的に発揮できるからだ。私はブラスバンド部に所属している。楽器を吹くことはとても楽しいのだが、楽器は重く、疲れてしまうため一時間に15分ほどの休憩をはさんで練習している。休憩の間は、先輩たちと雑談をしている。少しでも息抜きの時間があると、意識していないうちにしていた緊張や疲労がなくなっていく。そして、元気な体で練習をスタートさせることができるのだ。もしも、休憩を取らず、続けて練習をしていたら、体が疲れ切ってしまい、練習にならなくなってしまうと思う。だから、適度に休憩をとることで、質のよい練習をするようにしている。

確かに間をとらなければ、物事をはやく終わらせることができるかもしれない。しかし、「時間をつくる第一の方法は、急ぐことではなく、どこに時間を使うか考えることである」という名言がある。この名言のように、急ぎすぎると話しているときならば聞き手側が追いつかないし、体を動かしているときならば体がつかれてしまう。そして、もっと時間を消費してしまうと思う。そうならないために、間をとって正確に伝え合い、「会話」をし、休憩をとって体を休めることが重要だ。だから私はこれから、大事なときに力を発揮したり、相手と良いコミュニケーションをとったりするために間をあけることと行動をすることのメリハリをつけて生活していこうと思う。