自然の美を哲学(てつがく)的な視点で捉え(とらえ)、深い洞察(どうさつ)を持った文章になっています。自分の体験をもとに、感性豊かに「美」を語っている点が素晴らしいです。

<<え2018/151pみ>>

【総評】
 「美」の本質を自然と人間社会の対比の中に見出し、自らの体験を交えてその価値を主張した非常に読み応えのある意見文です。哲学(てつがく)的な抽象(ちゅうしょう)扱い(あつかい)方に加え、個人的体験の具体性を加味したことで、バランスの取れた構成となっています。論理展開も明快で、主張と例示、そして結論がしっかり結びついています。文章の語彙(ごい)も豊かで、読者に訴える(うったえる)力があります。

【段落ごとの講評】
【序論】
 美の定義を哲学(てつがく)的に掘り下げ(ほりさげ)ており、高校生としては非常に高度な論点設定ができています。「美醜(びしゅう)の対立を超越(ちょうえつ)した美」という視点は独創的で、以降の展開の(じく)が明確に見えています。

【第2段落(方法1)】
 ヒマラヤ山脈を例に出した体験記が秀逸(しゅういつ)です。読者の心に「美」の実体験を強く印象づけています。「美しいという意識もわかないほど〜」という表現に、直感的な美の捉え(とらえ)方がよく表現されています。

【第3段落(方法2)】
 学校や美術館の実例を挙げて、美の基準が相対的であることへの疑問を鋭く(するどく)指摘(してき)しています。「情操教育の風潮」など、社会への観察も入っており、視野の広さが感じられます。

【結論】
 主張と冒頭(ぼうとう)の問題提起がきちんと回収され、文章全体が一貫(いっかん)性をもって締めくくら(しめくくら)れています。「直感的に美しいと思えるもの」「比較(ひかく)超越(ちょうえつ)した存在」といった言葉選びが的確で印象的です。

【特に優れていた点】
哲学(てつがく)的な主題設定:高校生としては非常に高度な「美の本質」に切り込ん(きりこん)でいる点。

豊かな語彙(ごい)と表現力:抽象(ちゅうしょう)と具体を行き来しながらも、わかりやすく印象的に語っている点。

体験の活用:ヒマラヤ山脈の描写(びょうしゃ)によって、主張の説得力が格段に増しています。

【考えを深めるための質問】
 自然の美しさは(だれ)にでも同じように感じられるものだと思いますか? それとも、見る人の心によって感じ方は変わるのでしょうか?
 


■思考語彙 23種 27個 (種類率85%) 85点
 確か, 第,。しかし,。もちろん,。一方,。例えば,あろう,いるかも,だろう,として考える,と思う,と思える,ないはず,なければ,なはず,なるので,みると,よらざる,個人によって,向けるべき,美しいと,自分にとって,違うので,

■知識語彙 70種 110個 (種類率64%) 86点
一定,一方,一生,一般,世間,人間,人類,以上,作品,個人,光景,副産物,創造,反射,困難,基準,場所,壮大,夕日,大切,存在,学校,定数,対比,対立,巨大,必要,性質,情操,意見,意識,感動,技術,授業,教育,文化,方法,時間,最初,本当,本来,本質,次元,段階,比較,状態,率直,現代,理解,画一,直感,相対,瞬間,積極,範囲,絶対,美術,美術館,美醜,自体,自分,自然,評価,超越,近代,関心,限定,雪化粧,風潮,飛行機,

■表現語彙 116種 222個 (種類率52%) 80点
 確か,いろいろ,こと,これ,さ,それ,それぞれ,それら,たち,ところ,ないはず,なはず,もの,よう,わけ,インターネット,オレンジ,ヒマラヤ山脈,一,一定,一方,一生,一般,上,世間,中,二,人,人間,人類,他,以上,何,作品,例,個人,光景,内,副産物,創造,反射,味,困難,基準,場所,壁,壮大,夕日,大切,姿,子ども,存在,学校,定数,対比,対立,山々,巨大,底,心,必要,性質,情操,意見,意識,感動,技術,授業,教育,文化,方法,時,時間,最初,本当,本来,本質,次元,段階,比較,物,状態,率直,現代,理解,画一,界,的,直感,相対,瞬間,私,積極,筆遣い,範囲,絵,絶対,美,美術,美術館,美醜,自ら,自体,自分,自然,色,落書き,評価,超越,近代,関心,限定,雪化粧,面,風潮,飛行機,

■経験語彙 42種 54個 (種類率78%) 82点
かける,かんがえる,くれる,しまう,しれる,そびえたつ,できる,として考える,と思う,と思える,やってくる,よる,られる,れる,わく,乗る,作る,働きかける,出来る,分かる,刻む,向ける,始まる,忘れる,感じる,描き出す,放つ,残る,比べる,異なる,称す,見える,見せる,見直す,訴える,輝く,遊ぶ,過ごす,違う,関わる,響く,飾る,

■総合点 91点

■均衡点 8点
 

自然の美
   高1 あうては(auteha)  2025年6月2日

 美とは本来、自然の造化による創作物の性質を言い表す言葉である。それは美という性質を与えようと自然が望んだ結果与えられた性質ではなく、自性として備わっている性質である。よって美は人間の存在以前から、滅亡の後まで自然が存在して造化を続ける限り人間に関係なく持続し続ける性質である。自然の美の本質は美醜の対立を超越したところにある、醜いものにたいする美しいものではなくどんなものもそのままの性質において美しいのだ。一方近代に始まった美の基準は、醜と対立する美という範囲内でしかかんがえられなくなり、自ら美の次元を低い段階に限定する状態となったのであった。私は、自然界に存在する美にもっと関心を向けるべきだ。

 第一の方法は、自然と積極的に関わりあっていくことだ。私も、最初は自然で遊ぶだけだったが、いろいろな場所、いろいろな時間を自然と共に過ごす中で、美しいと心の底から感動する瞬間が必ずやってくる。

それが自分にとっての本当の美なのだろう。時を忘れ、心にその瞬間が刻まれるような美しい光景を自然は描き出してくれる。私の心に最も強く残っているのは飛行機から見たヒマラヤ山脈だ。自分たちの乗る飛行機と同じ高さかそれ以上にそびえたつ白く雪化粧した山々が、巨大な壁のように見え、夕日を反射してキラキラとオレンジ色に輝くその壮大な姿に私はただただ感動し、一生忘れることがないであろう程美しかった。美しいという意識もわかないほど、率直にそれは美しく、心に響くものがあった。このように、自然は何とも比べることのできない絶対的な美しさを見せてくれる。それには自然の中で時間を多く過ごすのが良い。

 第二の方法は、現代の美の基準、評価方法自体を見直すことだ。例えば学校の美術の授業では当然作品を作るわけだが、本来は美の基準、何を美しいと感じるのかは人それぞれ違うので、出来た作品を画一的に評価することは困難なはずだ。技術面でも、筆遣いが多少なっていないのを味があると思う人だっているかもしれない。もちろん学校である以上一定の基準で評価することは必要となるので、これはあくまで一例である。また、美術館に行ってみると、心に訴えかけるような作品がある一方で、自分には子どもの落書きにしか見えないような絵が飾られていたりもする。個人個人によって美は異なるが、インターネット上にもそういった絵の美しさが分からないという意見は一定数存在する。しかし、情操教育などと称して世間的に美しいとされる物は美しいと思わなければならないという風潮があるように感じてしまう。美とは本来直感的に自分の心に働きかけ、その存在自体が他の何にもよらず絶対的に美しいと感じることのできるものではないのか。

 確かに、世間一般で美しいとされることを理解するのも大切だ。それらは人間の創造の副産物であり、文化である。しかし、「美とは何を美しいとするかではなく何が美しいかである」ように、美とは本来直感的に美しいと思えるもであり、相対的なものではないはずだ。そして、人類は美を醜い物の対比として考えるようになっている。しかし、自然界の美はそういった比較とは次元の違うところでその存在自体超越した美しさを放っている。