進級試験合格です\(^o^)/
<<え2005/54み>>
身体と心のつながりに注目した深い問題意識が伝わってきました。複雑なテーマを自分の言葉で丁寧に掘り下げています。
<<え2019/492jみ>>
【総評】
「身体の軽視」という抽象的で難しいテーマに対し、能の身体論やデジタル社会との対比を通して論を展開しており、構成力・表現力ともに高い水準にあります。とくに導入部の知的なスタート、二つの明確な原因提示、そして実生活に引き寄せた結論は、説得力ある一貫した主張を形作っています。
【段落ごとの講評】
【序論】
能役者の身体観から現代への問題提起へと自然につなげており、深い文化的教養が感じられます。「精神と肉体の二元論」と「型に埋め込まれる力」の対比は明瞭で、論の骨格をしっかり作っています。
【第一の原因】
現代の高校生らしい視点から、デジタル社会と身体表現の関係を丁寧に掘り下げています。「ネッ友」や「LINEで済ます」など、日常感覚に根ざした具体例を盛り込みながら、「空気感」「反応が見えない」という観点で身体の重要性を訴える展開が説得力を持っています。「重みや意味づけが薄れる」という一文は、とても鋭く、核心をついています。
【第二の原因】
科学的知見を引用しながら、身体が「物質」や「機械」として扱われることの問題点を論理的に述べています。「測定不可能な主観的な身体感覚が信頼されなくなる」という視点は独自性が高く、AIの文脈と結びつけたところも時代性があります。少し難しい内容ですが、抽象的なテーマをしっかりと自分の言葉で語っており、知的な印象を与えます。ます。
【結論】
結論段落としてバランスの取れた展開で、「確かに〜しかし〜」の対比構造も明確です。挨拶の例や「一旦外を走る」という呼びかけによって、読者に実践的な視点を促している点が良いです。やや詩的な一文で締めるスタイルも印象的で、読後感のある終わり方になっています。
【特に優れていた点】
構成力:抽象的な主題を明快な二点構成で論じ、説得力がある。
表現力:比喩や具体例のバランスが良く、読者に伝わる書き方ができている。
知的視野:能や近代科学、AIといった幅広い素材を扱えており、教養の深さが感じられる。
【考えを深めるための質問】
あなたが思う「身体の価値」を一番強く感じた瞬間は、どんな場面でしたか? そのときの感情を言葉にするとどうなりますか?
■思考語彙 22種 29個 (種類率76%) 82点
確か,、いわゆる,。しかし,いるから,が可能,それゆえ,だろう,として第,と思う,は確か,は第,下げよう,人によって,再現可能,動きに対して,向くので,情報処理によって,握ろう,測定可能,発展によって,発達により,関わらざる,
■知識語彙 73種 101個 (種類率72%) 88点
一言,不可能,主観,人工,人間,今日,付属,信頼,内臓,再現,再現可能,単純,原因,友達,反応,反面,告白,問題,喧嘩,困難,外界,大切,完成,客観,対面,局面,強調,心拍,必要,思考,情報処理,意味,感情,感覚,感謝,技術,挨拶,授業,数値,構造,機能,注意,測定,測定可能,無意味,物質,現実,生身,画面,発展,発達,直接,直結,相手,知性,知能,社会,科学,移行,空気,筋肉,結果,行為,表情,見解,言葉,認識,謝罪,身体,近代,近年,連絡,集合,
■表現語彙 135種 213個 (種類率63%) 89点
確か,あなた,いつ,おすすめ,お願い,が可能,こと,これら,それ,それゆえ,たち,ところ,どこ,は確か,もの,よう,ゲーム,コミュニケーション,セット,チャット,デジタル,メール,ループ,一,一つ,一言,上,不可能,中,主観,二,二つ,人,人工,人間,今,今日,付属,体,信頼,内臓,再現,再現可能,別れ話,動き,化,単純,原因,友,友達,反応,反面,告白,品,問題,喧嘩,困難,声,外,外界,大切,完成,客観,対面,局面,強調,形,心,心拍,必要,思考,情報処理,意味,感,感情,感覚,感謝,手,扱い,技術,挨拶,授業,数,数値,時,朝,枠組み,楽,構造,機能,気持ち,注意,測定,測定可能,無意味,物質,現実,生身,画面,発展,発達,的,目,直接,直結,相手,知性,知能,礼,社会,私,科学,移行,空気,筋肉,結果,考え,脳,蔑ろ,行為,表情,見解,言葉,認識,誰,謝罪,足,身体,近代,近年,連絡,運び,重み,集合,頭,
■経験語彙 35種 48個 (種類率73%) 71点
しまう,づける,できる,と思う,なくなる,られる,れる,下げる,会う,伝える,伝わる,伴う,使う,働かせる,出す,切り替わる,取る,取れる,向く,広がる,悩む,感じる,抜け出せる,捉える,握る,深める,済ます,済ませる,生きる,続く,薄れる,謝る,走る,関わる,頼る,
■総合点 85点
■均衡点 3点
心とセット
高2 うた(aimee)
2025年6月1日
日本人の少なくとも能役者の考え出した身体に対する思想は、西欧近代の精神と肉体の二元論とは、全く対照的なものである。その思想では、精神と肉体が全く別の次元にあるのではなく、現実の肉体をこえてあらわれたもう一つの身体というものが、精神的なものであったからである。人の心を奪う異様な力を追求していくと、そこには型というものがうかび上がる。私たちは、型を繰り返して身体にうめこむことで、そのような力ができるのである。能役者の、たとえようもなく美しい足の運びも、それがあって完成するものである。身体があって心があるにも関わらず、今の私たちが身体を蔑ろにしていることは問題だ。
その原因としては第一に、コミュニケーションがデジタルに移行しているからである。いつでもどこでも、誰とでも連絡を取れるようになった今日では、コミュニケーションをデジタル上で取ることが多くなった。人によっては、対面でのコミュニケーションよりもデジタル上でのコミュニケーションを主としている人もいるだろう。SNS、ゲームなどを通じて仲良くなったが現実では直接会ったことがない友達、いわゆる「ネッ友」という言葉があるように、生身の人間が直接会うことが少なくなった。その中で、やはり謝罪や感謝も「LINEで済ます」「メールで一言」という形になって、身体を使って伝える必要がなくなったなと思う。喧嘩をした時にチャットで謝ったり、告白したり別れ話をしたりという大切な局面でも、やはりデジタル上で済ませる人がよくいる。私も「対面でしか感じられない空気感や、相手の表情・反応を見ることができないのは寂しいな」と思う反面、「楽だな」と思ってしまっているところはあるのである。そして、それが続いた結果、身体の動きに対しての「重み」や「意味づけ」が薄れてしまったのではないか。画面上では、いくら頭を下げようが、手を握ろうが相手には伝わらない。それゆえ身体的な行為が、どんどん「無意味なもの」扱いをされているのだ。
その原因として第二に、身体が客観的な物質として捉えられているからだ。身体の客観的な物質としての認識は、科学技術の発展によってその認識を深めていった。一つ目に、近代科学の枠組みでは、人間の体は、測定可能な構造・機能の集合体とされているということだ。心拍数や筋肉の動き、内臓の動き、これらは数値化が可能なものである。結果として、測定不可能な主観的な身体感覚が信頼できないものとされてしまったと感じる。二つ目に、近年の人工知能の発達により、人間の知性や感情は、脳の情報処理によって再現可能だという見解が広がってきていることである。それに伴い、身体がなくても思考が可能であるという考えが強調されているのだ。
確かに、頭を使い、感情を働かせることは大切である。私たちがデジタル社会で生きていく上で、身体感覚にだけ頼って生きるのはなかなか困難だろう。しかし、身体が心に直結していることは確かなのだ。朝の挨拶や、授業の挨拶で、「おはようございます」「お願いします」と声に出し、礼をすることで、気持ちが切り替わることはないだろうか。身体とは、私たちの心の付属品ではなく、心とセットなのである。もし、悩むことがあったら、一旦外を走ることをおすすめする。意外と脳というのは単純で、注意が外界に向くので、あなたは思考のループから抜け出せるだろう。