ノンフィクションの書き手は
   中2 あえもま(aemoma)  2025年6月1日

 私たちは毎日のように、テレビやSNSでたくさんの情報にふれている。その中には事実もあれば、誰かの意見や想像がまじっているものもある。そんな時代だからこそ、「本当のこと」とは何かを考えさせられる。



 事実を正確に伝えることには、大きな意味があり、大切だ。作り話ではなく、実際に起きたことをそのまま伝えることで、私たちは世界の本当の姿に近づくことができる。私がこのことを強く感じたのは、テレビ番組の一部分だけが切り取られた動画を見たときだ。その動画では、芸能人の発言が問題視されていた。最初にその映像を見たとき、私はその芸能人に対して「ひどい人だ」と思ってしまった。しかし、コメント欄には「実際に番組全体を見てみたら、この人は決して悪いことは言っていない」と書かれていた。そこで私も元の映像を確認したところ、印象がまったく違って見えた。自分が偏った情報だけで人を判断していたことを、反省した。この体験から、正確な情報が伝わらなければ、誤解が生まれてしまうことを痛感した。手軽に情報が発信できる時代だからこそ、事実の重みがいっそう大切になる。だからこそ、事実をありのままに伝えるノンフィクションには、人々の心に直接語りかけるという、大きな役割があるのだと思う。



 一方で、たとえ事実をもとにしていなくても、フィクションの物語だからこそ届く「真実」もある。例えば、スタジオジブリの映画『風立ちぬ』は、戦争中に飛行機の設計に情熱をかけた青年を描いた作品で、実在の人物をモデルにしながらも、多くの部分が創作であると聞いた。私はまだこの映画をしっかり観たことはないが、あらすじや感想を読む中で、「夢を追いながらも、時代の重みに苦しむ人間の姿」が心に残った。このように、事実に基づきながらも、創作によって人の心の葛藤や愛、迷いを描き出すことで、現実の数字や資料では見えてこないものに近づくことができるのではないかと思う。フィクションの物語は、一つの「正解」を押しつけるのではなく、読む人・見る人それぞれに異なる受け取り方をゆるし、人の数だけの「真実」を生み出す。その自由さこそが、現実の複雑さや人間の本質に迫るために必要なのだと思う。



 たしかに、事実を正確に伝えるノンフィクションも、物語を通して本質に迫るフィクションも、それぞれ大切な役割を持っている。けれど、情報があふれるこの時代において、本当に大切なのは、受け取る側がどんな姿勢でそれを受け止めるかだと思う。事実だからといって何でも鵜呑みにするのではなく、創作だからといって軽く見るのでもない。大事なのは、その中に込められた意味や思いに目を向けることだ。私はこれからも、どんな形の表現にも耳を傾けながら、「自分自身で考えること」を大切にしていきたい。