言葉の力
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単調で荒涼な砂漠の国には一神教が生まれると言った人があった。日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万の神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然のことであろう。仏教が遠い土地から移植されてそれが土着し発育し持続したのはやはりその教義の含有するいろいろの因子が日本の風土に適応したためでなければなるまい。この世に万人が認める唯一無二の絶対的な事実があるのではなく、個人にとっての事実しかないという立場を承認することでもある。つまり、ノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関するひとつの仮説にすぎないのだ。
真実はありのままで伝えることが大切だ。ときには、相手のためを思ってうそをつきたくなることもあるが、結局は正直に伝えることが、お互いのためになると思うからだ。小学校のとき、友だちが描いた絵を「どう思う?」と聞いてきたことがあった。正直に言うと少し雑に見えたが、相手の気持ちを考えて「すごく上手だね」とだけ答えた。ところが、彼女はその絵を学校のコンクールに出し、「入選しなかったのはなぜだろう」と落ち込んでしまった。そのとき私は、「もっと丁寧に描いたらもっとよくなると思う」と言えばよかったと強く感じた。相手の気持ちを大切にしつつも、思ったことを正直に、やさしい言葉で伝えることはとても大事だと感じた。本当のことを伝えるのは勇気がいるが、それによって相手が前に進めたり、自分も成長するきっかけになることもあるとおもう。だからこそ、私は「真実をありのままで伝えること」が、人との信頼関係をつくり、よりよい関係を築くために欠かせないことだと信じている。
しかし、「創作を加えてより真実に近づく」という考えにも価値があると考える。事実のみを並べることが必ずしも真実を伝える最善の方法とは限らず、ときに創作を通じてこそ本質が浮かび上がる場合もあるからだ。たとえば、戦争を題材とした映画や小説には、フィクションとして描かれたものが多い。だが、それらは記録映像や歴史資料以上に、戦争の悲惨さや人間の感情を伝える力を持っている。実際に起きた事実の背後にある「人の想い」や「社会の空気」は、創作という形を取ることで、より深く受け手の心に届くのだ。また、現代社会における貧困や差別といった問題を扱ったドキュメンタリーや小説においても、取材をもとに一部創作を加えることで、多くの人々の関心を引き、問題の本質を伝えることができる。これは事実をゆがめるものではなく、むしろ真実に近づくための表現手法であると言える。もちろん、創作が事実を誤認させてしまっては意味がない。しかし、正確さと表現力のバランスを保つことで、「より深い真実」に迫ることは可能であると私は思う。
ノンフィクションで事実を正確に伝えることにも、フィクションで想像力を働かせて本質に迫ることにも、それぞれの価値がある。しかし、どちらの手法を選ぶにしても、もっとも大切なのは「これを相手に伝えたい」という強い気持ちである。心から出た言葉は、心に届く。という名言があるように、伝える側の思いや誠実さがあってこそ、言葉は心に届く。逆に、どれほど正確な情報や巧みな表現があっても、伝える気持ちがなければ、受け手には響かない。真実とは、ただ語るものではなく、相手に伝わって初めて意味を持つものだと私は思う。だから、事実か創作かという手法の違いよりも、何をどうして伝えたいのか、その姿勢こそが最も大切なことだ。