ノンフィクションの書き手は
中2 つばさ(aeoni)
2025年6月1日
ノンフィクションの書き手は、在るものを映そうとし、フィクションの書き手は、在らしめるために創ろうとする。ノンフィクションも恣意的に想像力を行使しないということで「在らしめる」という闘いを免除され、「在る」ということことによって支えられている力を付与されているのだ。事実の断片を断片として提出をするときに「人間」の混入は不可避である。つまり、ノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関するひとつの仮説にすぎないのだ。
確かに、事実をありのままに伝えることも大事だ。必要なことだけを話してほしい時に、あったことをそのまま話してくれれば時間を短縮できる。だが、必要もないことをメインに話されれば何が必要か理解しにくいし、時間もその分かかってしまう。それが急いでいないときや、時間があるときならまだよいが時間が決まっているときにそういう話し方をされると困ってしまう。ということが学校での委員会報告のときにあった。
しかし、想像を足して真実に近づくという考え方も大事だと思う。なぜなら、手軽に歴史に触れられる歴史の本などがそうだからである。最近私も、よく勉強がてら読んでいるのだが、その物語だって本当にあったと思われる資料などをもとにして物語を創っていっている。ということは、真実に想像を足すということと同じだと思えた。歴史の人物においてもちなみに、今回の社会のテストはこの歴史の漫画本のおかげで点数がとれたところもあった。さらに、歴史の人物でも「ガリレオ・ガリレイ」という人物がその当時あった天動説を信じたのではなく、想像を足して地動説を掲げて真実に近づいて行った。そして、その時代では認められなくともそのあとの時代でその説が本当だと証明された。しかし、それが本当かどうかもわからないが。なぜなら、99・9%は仮説という本にもガリレイの話が載っていたからだ。
事実をありのままに伝えることも、想像を足して真実に近づくという考え方も大切だが、一番大切なのは真実に近づこうと行動することだ。「真実は、ただ語られるだけではなく、見出され、感じ取られなければならない。」という言葉もあるように、私自身も真実に近づこうと行動することで、他のことに気づくということもあった。例えば、これは私が前に見ていた一つのドラマの話だ。この話は、主人公の女の子が隠された真実を知ろうと周りの人達を巻き込んで真実を少しずつ知っていく話だ。そして、その子はその真実を知ろうと行動を起こし、知っていく。ここで思ったのが真実を知るためならば危険もいとわないという感じで真実に向かって行動していく姿がかっこよくもあった。だから、私もどちらとも大事にして、そして、真実に近づこうと行動することが大切と分かった今、自分から行動できるように勇気を持っていきたいと思った。そして、私の場合は危険を冒さない程度のことに向かって行動していきたいと思う。