美しい自然
高1 あえたき(aetaki)
2025年6月1日
美とは本来自然に備わっているありのままの、人間に関係なく持続していくものである。しかし現在の人間は、相対的な美を基本としており、美しいか、醜いか、比較しながら美しさを見出す。そのため人間の作り出す美には煩悩が混じるのだ。結果、規制された美、個性の範囲の美、特殊な性質の美、こういった醜と対立する美でしか考えることが出来なくなり、自らに美を次元の低い範囲に限定するようになった。私は、自然の持つありのままの日に目を向けるようにしていきたい。《主題》
《構成》まず、第一の方法として、日常的に自然に触れるように心がけることだ。例えばいつもより少し植物が生えた道を通ってみたり、自分で植物を育ててみたりすることだ。今は、自転車通学のため、滅多にないが小学生の頃は小学校に向かうのに川沿いの植物や、木が生い茂っている道を通っていた。友達たちとの登下校の時間には、必ずといっていいほど、通り道が私たちの遊び場となっていた。そこら辺に生えている葉っぱを引きちぎって、どれだけ上手に葉脈だけ引きちぎることが出来るかを勝負したり、きのみを取って食べたり、道端に生えている花の蜜を吸ったりと、自然をもとにあらゆる遊びを楽しんだ。その中で、次第に植物に触れていくうちに、自然そのものにも様々な形や、色、大きさがあることを感じとっていった。時には辺な形をした、葉っぱや花に出会って自然にありのままに生えている植物の面白さに感動した。このように、日常的に自然に触れるようになれば、自ずから自然の美に気づくようになるだろう。《題材》
《構成》第二の方法として、教育活動において校外学習などの自然に触れることのできる機会を増やしていくことだ。いくら、自分から自然に触れようと思っても日常生活には限界がある。また、外に出ることが好きではない生徒も数多くいる。その中で学校教育という等しく全ての学生に、多様な自然に触れられる機会を増やしていくことは素晴らしいことだと思う。私は中学一年生の頃に、校外学習で長野県にある菅平に行った。ハイキングに行ったり、バスの中から自然を眺めたりと、自然に触れる機会がたくさんあった。その中で私は人生初めて直接白樺の木に触れた。初めて見る白樺の木は背がすらっと伸びており、普段あまり見ることのできない白い幹に目をうばわれた。写真とはまた違って、ありのままの姿の木を見て、私はとても綺麗だなぁと思った。日常生活では感じることのできなかったことが体験でき、私の中でとても貴重な体験となった。このように、等しく全ての生徒に体験を与えることが出来るような学校側こそが、積極的に子供達が自然に触れられる機会を作り出していくべきである。《題材》
確かに人間が相対的に作り出す美もまた、一種の美しさを持って輝いている。《表現》しかし、「本来の美とは作り出すものではなく、私たちの足元にあるものである」という言葉があるように、私たちはもう少し、ありのままで美しい輝きをもつ自然の美に目を向けるべきである。そうすれば、日常の中に潜む美しさに気づき、生活に彩りが生まれ本来の美のある形に気づくことが出来るだろう。私は、自然が持つ美に目を向けるような生き方をしていくべきだと思う。《主題》